に一段の光彩を添ゆるの事功ありしを疑はず。然れども伯は少なくとも日本の外交史に新紀元を開きたる中興の外務大臣なりき。第一外交機関が殆ど全く藩閥の勢力圏を離れて独立の位地を占むるに至りたるは、伯の力与つて最も多きに居れり。外交を専門の技術とせる近世の傾向に順応して、訓練ある外交官を登庸するの方針を確立したるは伯なりき。貴族若くは耆宿の名誉職たりし公使の任務を有能者に引渡して、日本の外交機関を刷新するの計画は、主として伯の手を藉つて行はれたりき。今の林外務大臣を始め、小村寿太郎、加藤高明、高平小五郎、原敬等の諸氏を重用して、外交政略の効果を大ならしめたるものは伯に非ずや。元来伯の人と為りは、深く藩閥者流の信頼せざる所なりしに拘らず、独り伯の指導する外交機関に対しては復た一指を染むる能はずして、伯の自由手腕に任かさゞるを得ざりき。従つて外務省は殆ど十分に伯の感化を受けたりしに似たり。第二に伯は条約改正の成功者なり。日清戦争の執行者なり。伯が新条約案を英国に提出したるの時は、方に日清和戦の機関、髪を容れざるの危急に迫まるの際なりき。若し尋常外交家をして此の場合に処せしめば、或は一方の為に他方を犠牲に供したりしやも知るべからず。况んや是れと同時に第三者に対する外交関係漸く過敏ならむとしたるに於てをや。勿論当時伯が果して韓国問題を以て和戦を断ずるの腹案ありしや否やは疑問なれども、兎に角韓国問題と条約改正とは、伯に於て軽重し難き二大懸賞案たりしは言ふを待たず。而も伯は屡次白刄の下を潜ぐるが如き態度を以て、巧みに韓国問題の解決手段を進行すると共に、断然条約改正の談判を開始して遂に其の目的を達したりき。此の期間は伯の智力の最も発越したる絶頂にして、又実に外交劇の能事を尽くしたる一齣なりき。且つ伯が外交団に於ける英国の優勝位地を認識して、先づ之れと条約改正を商議したるは、単に条約改正の成功を早めたるに止らず、其の将来の帝国外交を支配する大方針は、亦既に此の時に於て定まれりと謂ふべし。則ち日露戦争前後二囘に締結せられたる日英同盟の如き、蓋し伯の政略より胎生したる産物たるに過ぎず。第三に伯は世界主義を外務省に輸入したりき。伯は以為らく、帝国をして国際会議の一員たらしめむとせば先づ形式実質共に欧洲文明と諧調する政略を執らざるべからずと。此の政略は往々非愛国的なりと認められて、保守派より最も激
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