は他なし、順逆に頓著せず、主義によりて進退する是れなり。其の本を脩めずして唯だ政権に接近せむことを求む。是れ本党の深患なり。大隈伯が総理を辞せむと欲するは、其の意実に此の深患に陥りて自ら悟らざる党人に警告を与へむとするのみ。
是に由て之れを観れば、大隈伯の辞職は、本党の発展上必要なるものに非ず、要するに其の申出は唯だ本党の将来に対する一大警告たるに過ぎざるのみ。然れども政治の全局より案ずれば、余は寧ろ伯が断然本党を棄つるの挙に出でたるを歓迎す。蓋し伯は伯自ら声言したる如く、たとひ本党との関係を絶つも、活動の余地は到る処に之れあるなり。伯は単身にして偉大なる勢力を民間に有すること、猶ほ伊藤侯が丸腰にして能く威望を朝廷に有するが如し。伯は元来本党に依て重きを為し居るの政治家に非ざるなり。本党或は亡ぶるとも、伯は未だ遽に政治的死亡を遂ぐるの癈人に非るなり。一政党を指導訓練するは、必らずしも無用なりと謂ふべからずと雖も、国民を指導訓練するは、更に最も必要なりと謂はざる可からず。今の党人は、智識に於ても、品性に於ても、决して国民の高級分子に非ず。高級分子の政党に入らざる所以は、国民全体の政治思想に進境なきが為なり。而して国民の政治思想は、単に一般教育の力のみに依て之れを発達せしむべきに非ず、別に偉人の人格より発動する感化力に待つもの多し。伯にして若し狭隘なる一政党の範囲を脱して自由の地歩を占め、政府の元勲たる伊藤侯と相対し、国民の元勲として党派以外に活動の余地を求めば、伯の大なる人格は、必らず国民全体を指導するの明星たらむ。是れ伯の晩節を善くするの道なり。(四十年二月)
大隈伯と故陸奥伯
十二月十日及び二十四日に於て、余は無限の興味と大なる敬意とを以て二個の盛典を見たり。一は早稲田大学の学園に挙行せられたる大隈伯の銅像除幕式にして、一は外務省構内に挙行せられたる故陸奥伯の其れなり。大隈伯は現在の人にして、且つ若干の未来を有し、陸奥伯は過去の人にして、其の伝記は十年以前に終結せり。然れども偉人傑士は、千古尚ほ毀誉褒貶の定らざる半面を存すると共に、他の半面の妍醜は、寧ろ其の触接したる同時代の国民に審判せらるゝを適当とするの理由なきにあらず。余は此の理由に於て、両伯に関する少許の智識を語らむとす。
大隈伯の公生涯に於て、其の歴史的価値の最も大なる部分二つあり。新
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