せしむ」に傍点]。侯が明治十八年自ら總理大臣と爲りて第一次の内閣を組織するや、始めて政綱を發表し、官制を改革し、文官任用令を設け、天下をして齊しく其の風采を想望せしめたりき。而も其の辭令の立派なる割合には實際に成功したる事績甚だ少かりしのみならず、繁文縟禮の弊反つて此間に生じたり。加ふるに浮泛なる歐化政略は、内治外交の兩面に救ふ可からざる壞膿を生じて、遂に内閣の瓦解を見るに至りき。第二次内閣は、選擧干渉に失敗したる松方内閣の後に組織せられ、山縣、黒田、井上、大山、仁禮の薩長元老も相携へて入閣したれば、世間之れを稱して元勳内閣といひたりき。侯は意氣軒昂我れ能く政黨の外に超然として議會を操縱するを得可しと信じたるに拘らず、議會は寧ろ侯の行動を非立憲的と爲して、荐りに不信任動議を提出したりき。一たびは和衷協同の勅諭を奏請したりき。二たびは議會の解散を斷行したりき。而も議會は容易に武裝を解くを肯んぜずして依然内閣の攻撃を事としたりき。此にて侯は超然主義の到底保持す可からざるを自覺し、自由黨と提携して内閣組織に多少の變更を加へたりと雖も、其の姑息※[#「糸+彌」、15−下−6]縫の政策手段は、漸
前へ 次へ
全497ページ中69ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
鳥谷部 春汀 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング