のために見ず識らずの人の災難を聴かされるのかはじめは判らなかったが、一人暮らしの不安というものを、話したいためであったことが次ぎの母の話でのみ込めてきた。
「そういう頓死を見ましたんで、私もいよいよ用意が肝腎と思いましたよ。前々から何時どういうことがあっても、息子に迷惑はかけとうない思いまして、それだけの始末はつけてあるつもりでしたが、今日という今日は眼に見ましたんで、ほんとうに腹にこたえました」
「お家で一人になった時はお心細いでしょうね」私も心から、この母の気持を聴きとった。
そうかと思えばある日は非常に気の利いた和服姿の美しい娘を伴って来たりした。そこで忽ち病院内にはせいたか坊やの未来の花嫁が現われたという噂がひろまった。
「ほんまにあの娘《こ》は息子さえ快くなれば、うちに来てもらおう思うております。そうなればもう私は何思いのこすこともない、楽々な身になります。安心して息子のいいように、ああせい、こうせいと云うなりに従うて、何時なりと安らかに逝けます」
瀬田青年の隣りには、新らしく箱根山と綽名された青年がいて、エスサマ・エスサマ、エッコラサと、懸声であたりを笑わせ、その実回復
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