なかった。
 嫂はまた低い声ではじめた。
「あんたも家《うち》の事情は知っているだろうね、長兄さんも銀行は寸暇もなく忙しいし、それに事変が始ったのでいつなんどき召集されないとも判らないんだよ。たいていのことは我慢できないの」
 答える代りにとよ子の啜り泣きは、昂まった。
「なぜ黙っているの。相変らず強情ね。それなら帰りますよ」
「ごめんなさい嫂さん。矢張り私は今苦しいんだもの」
「え? 苦しいんだって。そんなに動けなくなっているの」
「動くとせつないの。だから病院と相談してから帰って下さいな」
 また今度は長い沈黙がつづいた。嫂の眼はどこに注がれているのであろうか、とよ子の啜り泣きは途切れ、ややして再び声をあげるまでに激しくせき上げていた。
「泣いてるから駄目!」と、しばらくして嫂の肝癪の声が低く迸った。「もう帰るよ。畑の道に子供も待たせているし、それに今日は私は様子を見に来たんだからね。改めて次兄《ちいにい》さんとも相談して、それから病院とも話合ってみようよ。いいね」
「………」
「いずれ次兄さんかおたきさんにもこっちへ来てもらうから、それまで待っとくれ、ね? 待つでしょう?」
 そ
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