他に別れて住む父も、父の故郷にあずけた末弟も、同じ絆につながる苦境にある者たちとして、今何ひとつ語る言葉もないと云ったようすであった。
私は黙って静臥し、息子も傍らの椅子にかけて黙って、しばしの時を過した。
息子が帰ってから枕もとに置かれた心づくしの果物や私の好きな浜納豆など見ると、私の頬に熱いものが流れた。私の故郷の名物浜納豆は東京では探して買うので妹が購めたのを持ってきたと云う。ある日には娘の方が私を見舞うて、勤めの合間に縫うたという下着るいや、寝衣などを都度々々に持参してくれた。母の私が子供のために何事も為しえずに、と思って私は胸が詰った。父の故郷にあずけた末の児を思う日も、その時を指しては云えなかった。食事の間にも、霜の朝にも、ひとの子供の声にも思った。
私は回顧にひき戻され、現状に思いを馳せ、行末まで模糊と病躯に思い煩った。家族に会ったあと、私が窓にも向かず物思いに沈んでいると、小谷さんは、お子さんが来られてお嬉しかったでしょうと云ってくれた。私も思わず微笑をかえした。が血肉にあい倚る者の思いはなまやさしいものではなかった。小谷さんは一年も二年も見舞いもうけない病人もあると話し、眷属というものが一人もなくて、着がえは愚か、小使いの一銭もなくて、病院の支給を受け、やがて孤りで病院で死んで行く者さえあるとも話してくれた。私の内心はいよいよ複雑となり、せめてもう家族の苦しみの今日以上かさまぬよう希われるのみであった。
転室してから三か月もすると私は歩行を習い始めた。小谷さんが階下の庭の芝生に近い臥室に連れ出してくれた日、きわめて自然に私に云った。
「もう私がお附添いしなくても、およろしいほどでございますわ」
こう云われてみると私はさびしくなり、小谷さんが来なくなる一人のベッドが悲しまれた。
だが回復を進めるためには、少しずつ病躯を運動に馴らす必要もあった。
「でも私だけになっても、時々来て下さいね」私は心をこめて頼んだ。
伝道を避けるらしく私が見られた時の軽い冷笑などは、慇懃な小谷さんの平生には微塵もなかった。ただもう親切な良い娘さんであった。
私は秋芝の黄味がかった庭の方まで歩いてみて、陽だまりの香ばしい草の上に、草履をぬぎ足袋をとって足の裏をじかにあてたりした。ここまで回復したよろこびは、ただもう空に手をあげて呼びかけたい単純な心であった。
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