熱い湯で顔や手首、腕を拭き清めた。
 小谷さんは夜が明け放れると、また電灯のスイッチをパチンと閉め、私の寝具をきちんと正し、便器を清め、床を拭き、やがてくまなく調うた床で私に食事させ、さらにあと片づけするまで一刻も小止みなく、見る眼にも感に堪えるほどこまめに働いた。
 叮、使徒小谷さん、私はかの女に見せぬ眼をうるませた。あなたはお仕合せですよ、小谷さんのような良い方に附いていただいて、とはたの人からも云われ、自分でもあちこちできつい附添婦におこられている病人の我儘話なども耳にいれて、小谷さんに附いてもらった仕合せを感ずるのであった。
 お太鼓を胸高に結んだ小柄な小谷さんの後姿は初々しく、朝の挨拶にも、消灯して帰る挨拶にも両手を揃えて女学生のようなお辞儀をする小谷さんは、院長さんや医師たちの良家にも出入する行儀正しさが、身についていた。挙動が粗野で、口の利きかたも乱暴な、老いた頑くなの附添婦にさえ顔色を窺っている病人もあるのに、小谷さんには私は感謝もしきれないと思った。
「お母さんにはずっと小谷さんが附いていてくれて、よかったですね」
 息子も娘も見舞に来た時折りには、これを云った。
「ところが困ることが一つだけあるんでね」
「なんです、お母さん」息子はふしぎそうにしてたずねた。
「小谷さんは信者なんでねえ」
「たいへん良いことじゃありませんか」
「そうですよ、お母さんも感心しているんだけれど、あまりその方面の話はまだしていないの。どうもこのせつぼんやりしていたくてねえ」
「人間の微力という自覚からも信仰にはいれると思うけど」
「小谷さんのは、初めから献身的なんですよ」
「いや、ほかの人の場合では」
 そう会話しているうちに、もう私の気持は全くこのような会話はどうでもよいと思われるほど、別の思いで、占められていた。一家の離散をあとに病児と共に入院してきた私には、現在息子と娘とが共力して彼等の小さな家を支えていることが、容易ならぬ困難に想像された。自力で開拓して行く道は勉学よりほかないと云い、自宅で幾人かの生徒を教えつつ目的に向い、妹はこの兄の志の徹る日を援けるかの如く会社の勤めに通うていた。
 眼前に居る息子は若々しい青年の面貌に、既に現実苦と取組んだ沈痛な色をうかべていた。静かで無口で、病母を見舞うている彼れは、未だ母も己れも窮状につながれ、また共に棲む時も、さらに
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