がありますから、それを教へて上げませう」といはれた。私はそれを聽いて少からず失望した。お呪ひなどといふものはおよそ科學者と縁の遠いものである。だから、お呪ひを教へられても永い間科學畑に住んだ私共は迚もそれを唱へてみる氣になれないだらうと思つた。しかし折角お呪ひを教へてやらうといつて呉れたのであるから、聽かないのも惡いと思つて私は默つて耳を傾けた。その先輩は語を繼いで「船醉をしないお呪ひといふのはかういふことです、つまり自分は決して船に醉はないと信ずることである。別の言葉で言へば、自己催眠を掛け、自分は船に醉はないぞと自分を信じさせることです、これが一番よく效きます」と言はれた。
 私はこれを聽いて非常に感心した。これは單なる迷信の部類に屬するお呪ひではない、非常に科學性を持つたお呪ひである。成程これは效くかも知れないと私は思つた。これを要するに、絶對に船に醉はないと信ずることによつて船に醉はないで濟むわけである。かういふことはよく平常も經驗するのであつて、僅か幅一メートルの溝川も、果して自分がこれを越えられるかどうかと不安に思ひながら跳んだのでは、足が石崖に引掛つたりしてたいてい跳越え
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