損ねる。しかし、自分はこんな溝川なんか必ず跳越えられるのだといふ信念があつたなら、幅一メートルの溝川はおろか、たとへ幅二メートルの溝川でも至極見事に跳越えられるものである。また高跳競爭をやつても或る日は一メートル半の棒を樂に跳越せたのに又別の日には何となくこの棒が跳越せない氣がすると、その日は何回やつてみても、その棒を落すやうなことがよくある。それも總て一番初めに持つてをる自信の程度によつてかういふ結果が決るのである。であるから自分は決して船に醉はないといふ自信を初めに持つてをればさういふ自信を持つてゐないときに較べて遙に船醉をしないで濟む譯である。さういふところにこの船醉のお呪ひの科學性を感ずることが出來る。私は○○丸に乘船すると早速これを自分自身に試みた。私は南太平洋一萬五千浬を飛び歩いたが、その間一度も船醉を感じたことはなかつた。是は確にそのお呪のお蔭だつたと思ふ。
 なほこの先輩はもう一つ船醉をしない方法を私に教へてくれた。それは更に科學的な手段であつた。それはどういふことであるかといふと、兩方の耳に大きな綿を出來るだけ固く詰め込むのである。大きな綿でなければいけない、後で用がなくなつた時に耳の穴から綿を取出すのに困る。かうすれば外から來るあらゆる音を防ぐことが出來る。この音のなかには、船醉を誘發する音が交つてゐるさうである。これは陸上にはない振動の音であつて、船なるが故に特に出す特別の振動音がある。それが耳の穴から内耳に傳つて、そこにある器官に働く。さうするとそれが頭の神經を通じて腦に廻つて船醉現象を誘致するといふ話である。つまり科學的にいつて、船醉は船の中に於て發するところの特別の振動音によつて起るのだといふ見解に基き、この振動音を内耳の或る器官に達せしめない爲に、耳の中に今述べた通り固く綿を詰め込むのである。「これも大變よく效く方法ですよ」とその先輩は私に話してくれた。この方法が果して效果があるかないか私は知らない。なぜなれば私は曩に述べた自己催眠の方法によつて完全に船醉をしないで濟んだので、この第二の耳に綿を詰める方法を實行する機會がなかつたのである。皆さんが試みられてもし第一の方法で利目がなかつたときは宜しくこの第二の方法を試みられたが宜しからうと思ふ。
 船が段々南に降りて行くにつれて、海はびつくりするほど平穩になる。あたり一面、まるで湖水の如く
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