鷲の巣
ビョルンステェルネ・ビョルンソン Bjornstjerne Bjornson
宮原晃一郎訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)雌《めす》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから5字下げ、29字詰め、ページの左右中央に]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)だん/\嶮しく
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Bjo:rnstjerne Bjo:rnson〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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[#ここから5字下げ、29字詰め、ページの左右中央に]
ビョルンステェルネ・ビョルンソン 〔Bjo:rnstjerne Bjo:rnson〕 (1832−1910)。イプセンと並び稱せられるノールウェイの文豪。牧師の子と生れ、詩に、劇に、ジャーナリズムに又演説に、その一生は實にあらゆる方面に於ける活動の連續であつた。けれども、彼は一面ラヂカリストなると共に、他面、守舊的であつた。文學に於て又思想に於て、彼は牧歌的、道義的で、何處かに説教を藏してゐる。
『鷲の巣』はその短かさに反比例して、よく彼の文學者としての全貌をあらはしてゐる。
[#ここで字下げ終わり]
[#以上、宮原晃一郎による解説]
[#改ページ]
高い懸崖に圍まれて、淋しく横はる小村はエンドレゴォルと稱ばれた。村が立つてゐる地面は平らで、肥沃であつた。その中を一筋の廣い川が山から流れ落ちて、貫き通つてゐた。此の川は村から遠くない、向ふの方に見えてゐる湖に注いでゐるのだつた。
昔此の湖に一隻のボートに乘つて一人の者がやつて來た。其者こそは此の谷間に開墾を始めた最初の人間であつた。その名はエンドレであつた。現在の村の住民はその子孫である。
二三の者は言つた――エンドレは人殺しをして此處へ逃げ込んだのだ。それだから村民の顏が陰慘に見えるのだと。他の者は反對して言ひ張つた――それは懸崖の負ふべき罪だ。ヨハネ祭(中夏)の頃でさへ、もう午後五時には日の光は谷の中にさして來ないのだからと。
村の上の方に鷲の巣が一つ懸つてゐた。それは山の岩角についてゐた。鷲が卵をかへしにかゝると、誰でもこれを見ることができた。けれども、一人として其の巣にとゞいたものはなかつた。
鷲は村の上を飛び翔つて、時には仔羊を、又時には仔山羊を襲つた。一度などは小さな子供をさらつて行つたこともあつた。だから鷲がその巣を岩角にかけてゐるうちは、安心がならなかつた。
村人の間に、こんな話があつた。昔、その巣にとゞいて、滅茶苦茶にこはした二人の兄弟があつたさうだが、近年、それにとゞいた者は一人もないといふことだつた。
村で人が二人寄ると、鷲の巣の話が出て、上を見あげるのだつた。
近年、何時、鷲が戻つて來たか、何處を襲つて、損害を與へたか、最近では誰がそこへ登つて行かうと企てたか、などのことはちやんと分つてゐた。青年たちは子供の時分から、山や木に登る練習をつみ、いつかはあの鷲の巣にとゞいて、昔話の兄弟たちのやうに、巣を打ちこはせるやうにならうと、とりわけ角力をとつて身をきたへてゐるのであつた。
此の話の頃、村一番の立派な青年でライフといふ者があつた。彼は村の始祖エンドレの子孫ではなくて、髮がちゞれ、眼が細く、巫山戲てばかりゐて、女が好きだつた。彼はもう子供の時分から、鷲の巣によぢ登つてみせるぞといひふらした。けれども年寄達は、彼がそんなことを聲高に言ふのは感心できないと言つた。
これが彼をのぼせ上がらせた。そこでまだ最適の年齡にもならないのに、早くも岩角の登攀を企てた。それは初夏の晴れた日曜日の午前であつた。青年たちは今日こそ直ちに計畫をやらなければならないといふのであつた。多くの人々が懸崖の下に集まつた。老人達はやめた方がよいと言ひ、若い者達はやるがよいと言つた。
だが、ライフは只自分の望みにだけ耳を傾けた。だから鷲の雌《めす》が巣を離れるのを待ち構へて、一跳びに地上數尺の高さにある一本の松の木にとびついて、ぶら下がつた。此の木は岩の裂目から生え出してゐたので、ライフはこの裂目をよぢ登り始めた。小さな石が[#「小さな石が」は底本では「小さなな石が」]彼の足の下に崩れた。砂利や土塊《つちくれ》が轉がり落ちた。その音より外には深い靜寂。只遙かに川の流れが絶えず淙々と音を立てゝその河口へ注いでゐるだけ。
懸崖はだん/\嶮しくなつた。長いこと彼は片手で下がつて、足で以て、足がゝりをさがしてゐて、よそを見ることはできなかつた。
多くの者、とりわけ女たちは顏をそむけて、若し
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