兩親が生きてゐたなら、ライフはこんな危ないことをしなかつたゞらうにと云ふのだ。
けれども、彼はどうやらして、堅い足場を見付けて、又もや登りだした。今、手でもつて、と又、足でもつて――後戻りする、滑る、けれども、すぐに又しつかりと取付く。
下で立つて見てゐる人達は、お互がはら[#「はら」に傍点]/\してゐるその息づかひが、はつきりと聞き取れた。
と、先程から、ひとり寂しく、岩の上に坐つてゐた、一人のせいの高い娘が立上つた。此の娘はもう子供の時分から、ライフと許婚になつてゐた、彼は村の住民とは血族關係がなかつたのだけれど。
娘は手を高く上げて叫んだ――
「ライフ! ライフ! なんだつて、あんたはこんな事をするのよ!」
集つてゐる人々はみな娘の方をふり向いた。其處には父親が並んで立つてゐた。けれども娘はそれに氣がつかなかつた。
「降りて頂戴、ライフ! 私、あんたを愛してるわ。そんなところに登つたつて、何の徳もありやしないわ!」
ライフは思案してゐる樣子であつた。
それが一二秒つゞいた。
と又、登りだした。
彼の手も足もしつかりしてゐた。だから、長いこと、うまい工合に行つた。けれども、程なく彼は疲れだした、さい/\休むやうになつたから。
凶い前兆《まへぶれ》のやうに、一つの小石がころがり落ちた。其處に立つてゐる人たちは、彼がその下にとゞくまで、彼を目で跟けないではゐられなかつた。
二三の者はもう堪らなくなつて、見てゐることができないで、行つてしまつた。
娘だけが石の上に棒立に立つて、手を握りしめて、上の方を見上げてゐた。
ライフは又もや手で自分の前をさぐつた。此の時、彼女は、突然此の手が外れたのを、はつきりと認めた。と、ライフはすばやく別な手で掴まうとした、が、それも又外れてしまつた。
「ライフ!」と、娘が叫んだ。
聲が懸崖の上を越して高らかに響き渡つた。他の人達もこれに聲を合せた。
「あつ、辷つた!」
みんなは叫んで、手をライフの方へ差上げた、男も女も一樣に。
ライフは本當に辷つた。
砂、石、砂利などがざら[#「ざら」に傍点]/\と、彼と一緒に崩れ落ちた。彼は辷つた、辷つた、だん/\速さをまして――
人々は顏をそむけた。彼等は自分の背後《うしろ》に岩石の崩れる音を聞いた。間もなく何か重たい、塊《かたまり》のやうなものが、濕つた土にどしりと落ちたやうであつた。
人々が再びあたりを見廻すだけの勇氣が出たとき、ライフはめちや/\に、見分けもつかぬやうになつて、其處にころがつてゐた。
娘は石の上に倒れた。父親がそれを抱き起した。
ライフを一番そゝのかした青年は、今、手を貸して、彼の扶けにならうとはしなかつた。誰も彼を正視することはできなかつたのだ。
そこで年寄たちが出なければならなかつた。そのうちの一番年長者はライフの方へ手を出しながら言つた――
「これは馬鹿げたことだつた。けれども――」
と、彼は言ひ足した。
「それも善いことだ、誰にもとゞかれない、あんな高い處に、何かゞ懸つてるといふことは――」[#地から2字上げ](をはり)
底本:「北歐近代短篇集」白水社
1939(昭和14)年6月30日発行
入力:鈴木厚司
校正:土屋隆
2008年3月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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