つた。洛陽《らくよう》だの太原《たいげん》だの西安《せいあん》だのから来たものが多い。北魏《ほくぎ》の石の仏頭は、スフィンクスみたいな表情をしてゐた。六朝《りくちょう》の石仏の一つは、うつとりと睡《ねむ》たさうな微笑を浮べてゐた。ガンダーラの小さな石の首からは、ギリシャの海の音が聞えた。宋《そう》の青銅仏は概して俗だが、木彫りには、いゝものがあつた。なかに徳利《とくり》をさげた観音の立像がある。僕は法隆寺の酒買ひ観音を思ひだした。ああ、あの百済《くだら》観音さ。それから大学の頃Y教授に引率されてちよいちよい見学に行つた奈良の寺々のあの dim light を思ひだした。僕は僕の青春を思ひだした。……
 をかしな話だ。千何百年も昔の遺物にとり囲まれながら、青春を思ひだすなんて。だが、さうした遺物が彫られたり刻まれたりした頃、人類はやはり何といつても若かつたのだ。いはば人類の若い息吹きが、鑿《のみ》の跡に香りたかくこもつてゐるのだ。みづみづしい力だ。ゆたかな気魄《きはく》だ。それにしても、なんといふ堅固さだらう。なんといふ耐久力だらう。それを見てゐると心が温まつてくる。造型といふものへの、かすかな信頼も湧《わ》いてくる。……
 そんなことを言ふと、回顧趣味だとか古代マニヤだとかいつて笑はれるかも知れない。笑はれたつて構はない。古代を笑ふ近代マニヤ連中の内兜《うちかぶと》は、すつかり見透しなのだからね。あの連中の傲慢《ごうまん》な表情はじつは裏返された卑屈感と焦躁《しょうそう》にすぎない。あの連中とはつまりわれわれのことだ。僕たちは、たとへ逆立ちしたつて、もはや古代の建築や彫刻のあのゆたかな安定性には達しられないだらう。人類は疲労した。日は沈みつつあるのだ。
 たしかに人類の技術は、近代に入つて異常な進歩をとげた。僕たちの畑にしたつて建築材料も構造力学も、この二三十年に面目を一新した。だが、ガラスは紙より強い。鉄筋は木骨より丈夫だなんて、のんきな事を言つちやゐられない。生活はそのため、ちつとも確実さを増してはゐないのだ。技術の進歩はひよつとすると、人類が自分の疲労をかくすために発明した興奮剤にすぎないのかも知れない。厚化粧かも知れない。その反面に、陰険な破壊力は幾何級数的、いやそれ以上の勢ひで増大しつつあるのだ。それが近代といふものなのだ。そんな近代にもし思ひおごれるやうな人があつたら、それは残念ながら近代人とは言へまい。……
 ざつとさういつた考へが、仏像を覗《のぞ》きまはつてゐるうちに次第に頭をもたげて、僕はいつのまにか興奮してゐた。僕はその頃、建築材料のことで或る難問に逢着《ほうちゃく》してゐたので、いさゝか神経衰弱ぎみだつたのかも知れない。やがて西域出土物の室にはいつて、ムルックの石窟《せっくつ》寺のものだといふ壁画の断片を見たり、小さな像や壺《つぼ》の破片を眺めたりした。壁画は、色彩といひ描線といひ、法隆寺の金堂のあれにそつくりだつた。僕ははげしい郷愁を感じた。もつともその郷愁は、奈良へ向ふよりは一層つよく西方へ惹《ひ》かれるものだつた。僕はためらつてゐた北京赴任を、ほとんど決心した。
 ミイラ室を最後に、僕は博物館を出た。そこには高昌《こうしょう》国人だといふミイラが、さう、たしか六七体ほどならべてあつた。高昌といふ国を僕は知らなかつた。君もひよつとすると知らないかもしれない。案内記によると、西域といつてもずつと中国寄りの、天山南路にあつた国で、大たい五世紀ごろから七世紀ごろまで存続してゐたらしい。もと匈奴《きょうど》の根拠地だつたのが、次第に漢民族の侵蝕をかうむつて、遂《つい》にその殖民地になつたのだといふ。いはばトルキスタンとフンと漢と、この三つの勢力が早くから抗争して交流してゐた地方なのだ。したがつて一口に高昌人といつても、その正確な人種的決定は案外むづかしいかもしれない。現に当の匈奴にしてからが、蒙古《もうこ》系とする説とトルコ系とする説とがあつて、はつきりした結論は出てゐないといふではないか。いや、そんな詮議だてはどうでもいいことだつた。僕は目《ま》のあたりに古代人を見たのだ。その生きてゐる姿を見たのだ。もし生きてゐると言つて悪ければ、生きてゐる以上の、と言ひ直してもいい。何しろそのミイラたちは、千三百年ものあひだ、そのままの恰好《かっこう》でじつと眠りつづけてゐるのだからね。……
 身長は大きい方ではなかつた。褐色に黒ずんで固まつてゐるものだから、尚《なお》さら小さく見えた。顔は面長《おもなが》の方だつた。骨組はがつしりしてゐるらしいが、どれも一様に胸はくぼみ、腰骨がひどく出張《でば》つて見えた。そんな姿から、僕は彼らの遊牧生活を、まざまざと思ひ描くことができた。彼らを起きあがらせ、片手に長い杖《つえ》をつか
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