ある――これも町じゃ。……じゃがせっかくこうして話して聞かせても、お前がたにはさっぱりわけがわかるまいて!……世界というものはまずこうした物じゃ。それで全部とは行かぬにしても、まあま、とにかく大部分じゃよ。」
そう言って栗毛は口をつぐみましたが、下くちびるだけはまだもぐもぐと動いていて、まるで何かつぶやいているようでありました。それは寄る年波のせいだったのです。何しろもう十七歳でしたし、馬の十七といえば人間の七十七も同じことですから。
「せっかくの馬さんのお話ですが、私にはなんのことやらちんぷんかんぷんですわ。それにまた正直のところ、別にわかりたいとも思いませんの」とかたつむりが申しました、「私はごぼうさえあれば結構なんですが、ありがたいことにごぼうは充分ありますのよ。だってこれでもう四日もはっていますけど、まだ頂ける葉が尽きはいたしませんものね。このごぼうの向こうにはまたごぼうがはえていますわ。そのごぼうのうえには、きっとまたかたつむりがとまっているんでしょうよ。私の申しあげたいのはこれだけですわ。上へだって下へだって、はねることなんかいっさい無用ですわ――そんな事はみんな、くだらない、いいかげんななそっぱちですわ。お行儀よく葉のうえにすわって、その葉を食べていればいいんですわ。ああ、はうのさえ面倒でなかったら、とっくにあなたがたのところは御免をこうむっているのにねえ。そんなお話を伺っていると頭痛がして来ますわ。頭痛がして来るだけですわ。」
「いや、お話中ですが、それはまたなぜですね?」と、こおろぎがさえぎりました、「しゃべるということはことにそれが永遠だとかなんだとか、まあそういったたぐいの立派な題目に関する場合、じつに愉快なことじゃありませんか。そりゃもちろん、世帯じみた生まれつきというものもあります。その連中はただもう、いかにしてお腹《なか》をくちくするかということばかり、くよくよしているんです。たとえばあなただとか、またそこにおられるあでやかな毛虫さんみたいにね。……」
「あら、いけませんわ、私をおかまいになっちゃいけませんわ。お願いですからそっとして置いてちょうだい、かまわないでちょうだい!」と、毛虫は哀れっぽい声で叫びました、「私がこうして葉っぱをいただくのは、未来の生活のためなんですもの。ただただ未来の生活のためなんですもの。」
「未来の生活のためとかお言いだが、この先まだどんな生活があるのかね?」と、栗毛の馬がたずねました。
「まあおじさん、あんたは知らないの、私が一ぺん死んで、だんだらのきれいな羽をした蝶々になって生まれ変わることをさ?」
栗毛もとかげもまたかたつむりも、そうとは知らずにいたのですが、昆虫たちはどうにか知ってだけはおりました。そこで一座の話はしばらくとだえました。だれ一人として、未来の生活について条理《すじみち》の立った文句の言える者がなかったからでありました。
「確乎たる信念には、よろしく敬意を払うべきですな」――やがてこおろぎが、コロコロ申しました、「まだ何かおっしゃりたい方はありませんか? あなた一ついかがです?」と、こおろぎが二匹のはえに向かって申しましたので、年上の方がこう答えました。
「私どもは、べつに不仕合わせな暮らしをして参ったとも申せませんわ。私どもは今しがた、お邸《やしき》の部屋から出て参りましたの。ちょうど奥様がジャムをたくさん煮て、浅い鉢に分けていらしたので、私どもはふたの下へもぐり込んで、どっさりちょうだいしましたわ。私どもは何の不足もございません。お母さんはジャムに脚をとられてしまいましたけど、今さらどうしようもありませんわ。それにお母さんはもうずいぶんと長生きをしたんですものね。とにかく私どもは何の不足もございませんわ。」
「皆さん」ととかげが申しました、「あたくしは、皆さんのおっしゃることは一々ごもっともだと存じます! しかしまた、一面から申しますと……。」
けれどとかげは、一面から言うとどうなるのか、その先はとうとう言わずじまいになりました。なぜといって、そのとき不意に何ものかが、彼女の尻尾をぎゅっと地面へ押しつけたのを、感じたからでありました。
それは昼寝の夢からさめた馭者のアントンが、栗毛を迎えにやって来たのでありました。アントンが大きな長靴で、その会合の席へ踏み込んで、一座の者を押しつぶしてしまったのでありました。無事だったのは二匹のはえだけで、これはジャムだらけになって死んでしまった母親のからだをしゃぶりに、さっさと飛んで行きましたし、一ぽうとかげは命からがら、尾をちょん切られたままで逃げ出しました。アントンは栗毛のたてがみをつかまえて、庭から引き出して行きました。それはたるをつけて水をくみに行くためでした。道々アントンは、『ドオドてばよお、
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