に今いった心理的にも原作者にできるだけ近づこうと欲求する、その欲望の自由をも奪うようになることを恐れたいのである。それは飜訳者という奇体な生き物にとっての残された唯一の自由であり、創意なのだから、できるだけ尊重してやりたいものと思う。
 飜訳という問題はもともと生木のようにくすぶるのが運命である。もともと自然の法則に反して燃えることを強制されているからである。そこで単色版的飜訳という頗《すこぶ》る便利な諦観《ていかん》が、原則として飜訳の救いとなって現われるということになる。しかしこれが、単に飜訳者のための救いであるだけでは何の意味もない。読者のための救いであっても詰まらない。それは飜訳そのものの救いでなければならず、そのためにはやはり、飜訳の論理は、生理や心理を道伴《みちづ》れに永遠に苦しんで行くほかはないのである。
[#地から2字上げ]17.※[#ローマ数字9、1−13−29].1938
[#地から1字上げ](昭和十三年九月十九日、「帝国大学新聞」)



底本:「大尉の娘」岩波文庫、岩波書店
   1939(昭和14)年5月2日第1刷発行
   2006(平成18)年3月16日改
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