の誤解され易い点は、それが一見したところ、飜訳の生理とか心理とか云《い》ったものから、論理面だけを単純に切取《きりと》り了《おお》せているように見えるところにあると思う。
 この単色版説の恰好《かっこう》なよりどころとして、普通もちだされるのは鴎外の飜訳である。だが世の中にこれほど滑稽な勘違いはない。かえって鴎外のつかう語彙《ごい》くらい色感の強いものは、ほかの文学者には見当らぬほどである。鴎外の文章は、意味と色とトオンとのつながりに慎重きわまる吟味を重ねた挙句に選び当てられた、的確きわまる語彙を素材とした揺るぎない構築物なのである。一たい誰にあの『魚玄機』が書けるというのであろうか。一たい誰に『即興詩人』が書ける[#「書ける」に傍点]というのだろうか。いや、論者の考えているのは鴎外の晩年ちかい枯淡な味わいの訳文なのであろうが、その淡々として水のごとき行文を支えているものはやはり、昔の鴎外の厳正な風格にほかならない。あの平明な口語文はやはり彼独特のもので、今日《こんにち》のわれわれの到底使いこなし得るものではない。その意味であれは紛れもなく一種の文語なのである。これほどの見分けもつかぬ
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