へ往く、あの瑞仙和尚がをられるのだ。何か言伝《ことづ》てでもあるかな」とのお答へ。「姫君へお返りごとは」と重ねて伺ひますと、「いま喋《しゃべ》つたことが返事だ。覚えてゐるだけお伝へするがいい。」さうお言ひ棄《す》てになるなり、風のやうに丘を下りて行かれたのでございます。
近江へ往くとは仰《おっ》しやいましたが、わたくしには実《まこと》とは思はれませんでした。なぜかしらそんな気が致したのでございます。ひよつとしたらあのまま東の陣にでもお入りになつて、斬《き》り死になさるお積りではあるまいかとも疑つてみました。これもそのやうな気がふと致しただけでございます。いづれに致せ、その日以来と申すもの、松王様の御消息は皆目《かいもく》わからずなつてしまひました。地獄谷の庵室《あんしつ》と仰しやつたのを心当てに尋ねてみましたが、これはどうやら例のお人の悪い御|嘲弄《ちょうろう》であつたらしく、真蘂西堂《しんずいせいどう》は前の年の九月に伊勢殿と御一緒にあさましい姿で都落ちをされたなりであつたのでございます。ちよつと潜《ひそ》かに上洛《じょうらく》されたやうな噂《うわさ》もありましたので、それを種に人
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