りますし、鹿苑院《ろくおんいん》、蔭凉軒の跡と思《おぼ》しきあたりも激しい戦《いくさ》の跡を偲《しの》ばせて、焼け焦げた兵どもの屍が十歩に三つ四つは転《まろ》んでゐる始末でございます。物を問はうにも学僧衆はおろか、承仕法師《じょうじほうし》の姿さへ一人として見当りません。もしや何か目じるしの札でもと存じ灰塵《かいじん》瓦礫《がれき》の中を掘るやうにして探ねましたが、思へば剣戟《けんげき》猛火のあひだ、そのやうなものの残つてゐよう道理もございません。わたくしは途方に暮れて佇《たたず》んでしまひました。
 その日は空しく立戻り、次の日もまた次の日も、わたくしは御文を懐《ふところ》にしつつ或《ある》は功徳池のほとりに立ち暮らし、或は心当てもなく焼け残つた巷《ちまた》々を探ね廻りましたが、松王様に似たお姿だに見掛けることではございません。そのうちに日数はたつて参ります。相国寺合戦の日の色々と哀れな物語も自然と耳にはいつて参ります。中でも一入《ひとしお》の涙を誘はれましたのは、細川殿の御曹子《おんぞうし》、六郎殿のおん痛はしい御最後でございました。当年十六歳の六郎殿は、この日東の総大将として馬廻
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