。山名方の悪僧が敵に語らはれて懸けた火だと申します。この日の戦さの凄《すさ》まじさは後日人の口より色々と聞き及びましたが、ともあれ黄昏《たそがれ》に至つて両軍相引きに引く中を、山名方は打首《うちくび》を車八|輛《りょう》に積んで西陣へ引上げたとも申し、白雲の門より東今出川までの堀を埋《うず》むる屍《しかばね》幾千と数知れなかつたとも申してをります。
さあこの報せが光明峰寺にとどきますと、鶴姫様の御心配は筆舌《ひつぜつ》の及ぶところではございません。早々にお見舞ひの御消息がわたくしに托《たく》せられます。それを懐《ふところ》にわたくしが相国寺の焼跡に立つたのは、翌《あく》る日のかれこれ巽《たつみ》の刻でもございましたらうか。さしも京洛《きょうらく》第一の輪奐《りんかん》の美を謳《うた》はれました万年山相国の巨刹《きょさつ》も悉《ことごと》く焼け落ち、残るは七重の塔が一基さびしく焼野原に聳《そび》え立つてゐるのみでございます。そこここに死骸《しがい》を収める西方らしい雑兵どもが急しげに往来するばかり、功徳池《くどくいけ》と申す蓮池《はすいけ》には敵味方の屍がまだ累々《るいるい》と浮いてを
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