ある。そこへ今度の大乱である。貞阿はそんな話をして、序《つい》でに一慶和尚の自若たる大往生《だいおうじょう》ぶりを披露した。示寂の前夜、侍僧に紙を求めて、筆を持ち添へさせながら、「即心即仏、非心非仏、不渉一途、阿弥陀仏」と大書《たいしょ》したと云ふのである。玄浴主は、いかさま禅浄一如の至極境、と合槌《あいづち》を打つ。
 客は湯冷めのせぬうちに、せめてもう一献《いっこん》の振舞ひに預《あずか》つて、ゆるゆる寝床に手足を伸ばしたいのだが、主人の意は案外の遠いところにあるらしい。それがこの辺から段々に分つて来た。尤《もっと》も最初からそれに気が附かなかつたのは、貞阿の方にも見落しがある。第一|殆《ほとん》ど二年近くも彼は玄浴主に顔を見せずにゐた。応仁の乱れが始まつて以来の東奔西走で、古い馴染《なじみ》を訪ねる暇もなかつたのである。自分としては戦乱にはもう厭々《あきあき》してゐる。しかし主人の身になつてみれば、紛々たる巷説《こうせつ》の入りみだれる中で、つい最近まで戦火の渦中に身を曝《さら》してゐたこの連歌師《れんがし》の口から、その眼で見て来た確かな京の有様を聞きたいのは、無理もない次第に
前へ 次へ
全65ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング