北へ越して、今出川の方《かた》もまた西の方《かた》小川《こかわ》のあたりも、一面の火の海になつてをりました。
その中を、どこをどう廻つて来られたものか、松王さまは学僧衆三四人と連れ立たれて走せつけて下さいました。わたくしは忝《かたじ》けなさと心づよさに、お手をじつと握りしめた儘《まま》、しばしは物も申せなかつたことでございました。お文倉にも火の粉《こ》や余燼《もえさし》が落下いたしましたが、それは難なく消しとめ、やがて薄らぎそめた余煙の中で、松王さまもわたくしどもも御文庫の無事を喜び合つたことでございます。松王さまは小半時ほど、焼跡の検分などをお手伝ひ下さいましたが、もはや大事《だいじ》もあるまいとの事で、間もなく引揚げておいでになりました。
その未《ひつじ》の刻もおつつけ終る頃でございましたらうか。わたくしどもは、兼ねて用意の糒《ほしひ》などで腹をこしらへ、お文庫の残つた上はその壁にせめて小屋なりと差掛け、警固いたさねばなりませんので、寄り寄りその手筈《てはず》を調へてをりました所、表の御門から雑兵《ぞうひょう》およそ三四十人ばかり、どつとばかり押し入つて参つたのでございます。そ
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