なかなかお痛はしいの何のと申す段のことではございません。
 このたびの大乱の起るに先だちましては、まだそのほかに瑞祥《ずいしょう》と申しますか妖兆と申しますか、色々と厭《いや》らしい不思議がございました。まづ寛正《かんしょう》の六年秋には、忘れも致しません九月十三日の夜|亥《い》の刻ごろ、その大いさ七八|尺《しゃく》もあらうかと見える赤い光り物が、坤方《ひつじさる》より艮方《うしとら》へ、風雷のやうに飛び渡つて、虚空《こくう》は鳴動、地軸も揺るがんばかりの凄《すさ》まじさでございました。忽《たちま》ちにして消え去つた後は白雲に化したと申します。そのとき安部殿(在貞)などの奉《たてまつ》られた勘文《かんもん》では、これは飢荒、疾疫群死、兵火起、あるひは人民流散、流血積骨の凶兆であつた趣でございます。当時、何《なん》ぴとの構へた戯《ざ》[#ルビの「ざ」は底本では「ぎ」]れ事でございませうか、天狗《てんぐ》の落文《おとしぶみ》などいふ札を持歩く者もありまして、その中には「徹書記《てっしょき》、宗砌《そうぜい》、音阿弥、禅竺、近日|此方《こちら》ヘ来《きた》ル可《べ》シ」など記してあつたと申し
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