に情《じょう》を強《こわ》くしている訳にも行かない。実際このような慌《あわただ》しい乱世に、しかも諸国を渉《わた》り歩かねばならぬ連歌師の身であってみれば、今宵の話が明日は遺言とならぬものでもあるまい。それに自分としても、語り伝えて置きたい人の上のないこともない。……そう肚《はら》を据《す》えると、銅提《ひさげ》が新たに榾火《ほたび》から取下ろされて、赤膚焼《あかはだやき》の大|湯呑《ゆのみ》にとろりとした液体が満たされたのを片手に扣《ひか》えて、折からどうと杉戸をゆるがせた吹雪《ふぶき》の音を虚空《こくう》に聴き澄ましながら、客はおもむろに次のような物語の口を切った。
*
御承知のとおり、わたくしは幼少の頃より、十六の歳でお屋敷に上《あが》りますまで、東福寺の喝食《かっしき》を致しておりました。ちょうどその時分、やはり俗体のままのお稚児《ちご》で、奥向きのお給仕を勤めておられた衆のなかに、松王《まつおう》丸という方がございました。わたくしより六つほどもお年下でございましたろうか、御利発なお人なつこい稚児様で、ついお懐《なつ》きくださるままに、わたくしも及ばずなが
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