違いない。しかも戦乱の時代に連歌師の役目は繁忙を極めている。差当《さしあた》っては明日にも、恐らく斎藤|妙椿《みょうちん》のところへであろう、主命で美濃《みの》へ立たなければならぬと云うではないか。今宵をのがして又いつ再会が期し得られよう。……そんな気構えがありありと玄浴主の眼の色に読みとられる。
 それにもう一つ、貞阿にとって全くの闇中の飛礫《ひれき》であったのは、去年の夏この土地の法華寺《ほっけじ》に尼公として入られた鶴姫のことが、いたく主人の好奇心を惹《ひ》いているらしいことであった。世の取沙汰《とりざた》ほどに早いものはない。貞阿もこの冬はじめて奈良に暫《しばら》く腰を落着けて、鶴姫の噂《うわさ》が色々とあらぬ尾鰭《おひれ》をつけて人の口の端《は》に上《のぼ》っているのに一驚を喫したが、工合《ぐあい》の悪いことには今夜の話相手は、自分が一条家に仕えるようになったのは、そもそも母親が鶴姫誕生の折り乳母《うば》に上《あが》って以来のことであるぐらいの経歴なら、とうの昔に知り抜いている。……
 主人の口占《くちうら》から、あらまし以上のような推察がついた今となっては、客も無下《むげ》
前へ 次へ
全65ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング