と旧弊な言掛《いいがか》りも附けようと思えば附けられよう。だがこの男も結局は俺の心を掻《か》き立てては呉《く》れぬ。小さいのだ、下らぬのだ。あれほどの野心家なら、どこの城どこの寺の隅にも一人や二人は巣喰っておる。それでは蔭凉軒はどうだ。世間ではあの老人が義政公を風流|讌楽《えんらく》に唆《そその》かし、その隙《すき》にまぎれて甘い毒汁を公の耳へ注ぎ込んだ張本人のように言う。赤入道(山名|宗全《そうぜん》)なんぞは、とり分けて蔭凉の生涯失わるべしなどと、わざわざ公方《くぼう》に念を押しおる。それほどに憎らしいか、それほどに怖ろしいか。俺はあの老人とこれで丸六年のあいだ一緒に暮して来たが、唯《ただ》の詩の好きな小心翼々たる坊主だ。もそっと詩の上手なあの手合は五山の間にごろごろしておる。あれを奸悪《かんあく》だなど言うのは、奸悪の牙《きば》を磨く機縁に恵まれぬ輩《やから》の所詮《しょせん》は繰り言にしか過ぎん。ではそんな詰らん老人をなぜ背負って火の中を逃げた。孟子《もうし》は何とやらの情《じょう》と言ったではないか。俺の知った事ではない。……
「とするとこの両名の言うなりになった公方が悪いと
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