にお話しかけになります。それが後では、もうわたくしなどのいることなどてんでお忘れの模様で、まるで吾《われ》とわが心に高声で言い聴かすといった御様子でございました。わたくしは何か不気味な胸さわぎを覚えながら、じっと耳を澄まして伺っておりました。いろいろと難しい言葉も出て参りますので一々はっきりとは覚えませんけれど、大よそはまず次のようなお話なのでございました。
「この焼野原を眺めて、そなたはさぞや感無量であろうな。俺も感無量と言いたいところだが、実を云えば頭の中は空っぽうになりおった。今日は珍しく京のどこにも兵火の見えぬのが却《かえ》って物足らぬぐらいだ。俺は事に餓《う》えておる。事がなくては一日半時も生きてはゆけぬと思うほどだ。それを紛らわそうと、そなたはよもや知るまいが、俺は夜闇にまぎれて毘沙門《びしゃもん》谷のあたりを両三度も徘徊《はいかい》してみたぞ。姫があの寺へ移られたことは直きに耳に入ったからな。そしてあの小径《こみち》この谷陰と、姫をさらう手立をさまざまに考えた。どういう積りかは知らぬが、仰山《ぎょうさん》に薙刀《なぎなた》までも抱えておった。いや飛んだ僧兵だわい。その三晩
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