》いの焼亡いたしましたことは、夥《おびただ》しいことでございましたろう。それを思いますと、あらためてまた桃花坊のあの口惜《くちお》しい日のことも思いいでられ、この胸はただもう張りさけるばかりでございます。人伝《ひとづ》てに聞及びました所では、昨年の暮ちかく上皇様には、太政官《だいじょうかん》の図籍の類を諸寺に移させられました由《よし》でございますが、これも今では少々後の祭のような気もいたすことでございます。
ああ、どうぞして一日も早く、このような戦乱はやんで貰《もら》いたいものでございます。さりながら京の様子を窺《うかが》いますと、わたくしのまだ居残っておりました九月の初《はじめ》には嵯峨の仁和《にんな》、天竜《てんりゅう》の両|巨刹《きょさつ》も兵火に滅びましたし、船岡山では大合戦があったと申します。十月には伊勢殿の御勘気も解けて、上洛《じょうらく》御免のお沙汰《さた》がありましたとやら、またそのうち嘸《さぞ》かし色々と怪しげな物ごとが出来《しゅったい》いたすことでございましょう。そう申せば早速にも今出川殿(足利|義視《よしみ》)は、霜月《しもつき》の夜さむざむと降りしきる雨のなかを、比叡へお上りになされたとの事、いやそれのみか、遂《つい》には西の陣へお奔《はし》りになったとやら。この師走《しわす》の初め頃、今出川殿討滅御|祈祷《きとう》の勅命《ちょくめい》が興福寺に下りました折ふしは、いや賑《にぎ》やかなことでございましたな。さてもこの世の嵐はいつ収まることやら目当てもつきませぬ。お互いにあまりくよくよするのは身の毒でございましょう。はや夜もだいぶん更けました様子。どれお名残《なご》りにこれだけ頂戴《ちょうだい》いたして、あす知らぬわが身の旅の仮の宿、お障子《しょうじ》にうつる月かげなど賞しながら、お隣でゆるりと腰をのさせていただきましょう。……
底本:「日本幻想文学集成19 神西清」国書刊行会
1993(平成5)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「神西清全集」文治堂
1961(昭和36)年発行
初出:「文藝」河出書房
1946(昭和21)年3、4月合併号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新仮名にあらためました。
※「稍々」「愈々」の箇所の「二の字点(1−2−22)」は、
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