乱は瞬時もやまずに続くであろう。人間のたかが一世や二世で見きわめのつくような事ではあるまい。してみればいま眼前のこの静寂は、仮の宿りにほかならぬ。今宵《こよい》の雪の宿りもまた、所詮《しょせん》はわが一生の間にたまさかに恵まれる仮の宿りに過ぎないのだ。……貞阿はそう思い定めると、暫《しばら》くじっと瞑目《めいもく》した。雪が早くも解けるのであろう、どこかで樋《ひ》をつたう水の音がする。……
 やがて座に戻った連歌師《れんがし》は、玄|浴主《よくす》の新たに温めてすすめる心づくしの酒に唇をうるおしながら、物語の先をつづけた。

 それは九月の十九日でございました。明け方から凄《すさ》まじい南の風が吹き荒れておりましたが、その朝の巳《み》の刻なかばに、お屋敷のすぐ南、武者の小路の上《かみ》の方に火の手があがったのでございます。つづいてその下《しも》にも上《かみ》にも二つ三つと炎があがります。火の手は忽《たちま》ちに土御門の大路を越えて、あっと申す間もなく正親町《おおぎまち》を甞《な》めつくし、桃花坊は寝殿《しんでん》といわずお庭先といわず、黒煙りに包まれてしまいました。折からの強風にかてて加えて、火勢の呼び起すつむじ風もすさまじいことで、御泉水あたりの巨樹大木も一様にさながら箒《ほうき》を振るように鳴りざわめき、その中を燃えさかったままの棟木《むなぎ》の端や生木《なまき》の大枝が、雨あられと落ちかかって参ります。やがて寝殿の檜皮葺《ひわだぶ》きのお屋根が、赤黒い火焔《かえん》をあげはじめます。お軒先《のきさき》をめぐって火の蛇《へび》がのたうち廻ると見るひまに、囂《ごう》と音をたてて蔀《しとみ》が五六間ばかりも一ときに吹き上げられ、御殿の中からは猛火《みょうか》の大柱が横ざまに吐き出されます。それでもう最後でございます。わたくしは、居残っております十人ほどの青侍《あおさぶらい》や仕丁の者らと、兼ねてより打合せてありました御泉水の北ほとりに集まり、その北に離れておりますお文倉《ふみぐら》をそびらに庇《かば》うように身構えながら、程なく寝殿やお対屋《たいのや》の崩れ落ちる有様を、あれよあれよとただ打ち守るばかり。さあ、寝殿の焼け落ちましたのは、やがて午《うま》の一つ頃でもございましたろうか、もうその時分には火の手は一条大路を北へ越して、今出川の方《かた》もまた西の方《かた》
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