う一度あの風変りな馬や、教会や、あの誠意のないラッベク一家や、真暗な部屋などが見たくてたまらなかった。いわゆる『内心の声』は恋をする人々を実にしばしばあざむくものだが、それが彼にも何故とはなしに、きっとあの女に会えるぞとささやくのだった。……そうなるといろんな取越し苦労が彼をなやました――どんな工合にあの女に出くわすことになるだろう? あの女とどんな話をしたらいいだろう? あの女は接吻のことなんかきれいに忘れちゃいないかしら? 『万一間がわるくって』と彼は考えるのだった、『あの女に逢えないにしても、あの真暗な部屋を歩き※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]って、思い出に耽れさえすりゃ、それだけで俺はもう十分うれしいんだがなあ……』
夕暮ちかく地平線上に、例の見覚えのある教会と白い穀倉が見えてきた。リャボーヴィチの胸は高鳴りはじめた。……彼は轡をならべて進んでいる将校が、しきりに自分に話しかけて来るのを、てんから聴こうともせず、無念無想の境にあって、むさぼるように瞳を凝らし、遙か彼方にきらきらしている川や、屋敷の屋根や、鳩小舎や、その上空を折からの入日に照らされながら円を描いて飛ん
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