見えるのが常だ。どうしたわけで一門の大砲のまわりにこんなに大勢くっついているのやら、どうしてこんなに沢山の馬が、てんでに変てこな輓具でがんじがらめにされながら、一門の砲をえっさらおっさら曳きずって、まるでその砲が実際それほど重たい怖るべき代物であるかのような騒ぎを演じているのやら、そこがわからないのである。ところが、リャボーヴィチは何から何までわかり切っているので、さればこそ頗るもってつまらないのである。どうして各中隊の先頭には、士官と轡《くつわ》を並べてがっしりした砲兵下士が一人馬を進ませているのか、なぜこの下士が『前駆』と呼ばれているのか、なんていう事はとうの昔に知り抜いている。この下士のすぐうしろには第一挽索の乗馬兵、それから中部挽索の乗馬兵の姿が見える。リャボーヴィチは、彼らの乗っている左手の馬が驂馬と呼ばれ、右手のが副馬と呼ばれることも承知しているが――これまたすこぶる詰らんことである。そうした乗馬兵のうしろには二頭の後馬がつづく。その一頭には、昨日の埃を背中にかぶったままの兵が跨がって、不恰好な、とても滑稽な木製の脛当《はぎあて》を右の足にくっつけている。リャボーヴィチはこ
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