独で彼女の傍に来て坐《すわ》るのを見た。不気味に、音もなく。
 彼女には纔《わず》かにその輪廓《りんかく》だけしか想像されずにゐた長い争闘によつて傷《きずつ》いた青年がそこに横《よこた》はつてゐた。彼女は憫《あわ》れむやうに青年の姿を改めて見直した。彼の胸ははだけて、寝衣の間から蒼《あお》ざめた皮膚が浮び上るやうに眺められた。次の瞬間、彼女は全く別のことを考へてゐた。長い間|推《お》し秘《かく》された一つの影響がこの時花さいたもののやうだつた。あたりが花の匂ひに満ちた。蒼ざめた天の幼児がそつと降りて来て、村瀬の皮膚に合体したのが見えた。幼児が成長して地上のものの姿でその肉体を明子の前に横たへたかの様だつた。彼女は、自分が村瀬を愛したのは幼児の蒼ざめた皮膚を愛するためにだつた事をはつきりと了解した。眼の前の青年の胸には二つの菊の花までが、その血紫色を黝《くろ》ずませて。……
 やがて明子は立ち上つた。彼女は医者を呼ぶために壁のボタンを長く押し続けた。



底本:「日本幻想文学集成19 神西清」国書刊行会
   1993(平成5)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「神西清全集」文治
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