ベッドの上で喀血《かっけつ》した。
 衝立《ついたて》の蔭《かげ》で朝の化粧をしてゐた明子は、彼の叫声《さけびごえ》に愕《おどろ》いて飛び出して来た。白いシイツに血が鋭く鮮紅の箭《や》を射てゐた。はじめ彼女は村瀬が何か鋭利な刃物で自殺をはかつたのだと信じた。
 ――コップ。コップ。
 彼が咳《せ》き入つて叫んだ。明子が枕許《まくらもと》のコップを口に当てがつてやると彼は待ち兼ねたやうに二度目の多量の喀血《かっけつ》をした。血がコップを溢《あふ》れて明子の手の甲を汚した。血は皮膚の脂肪にはじかれて斑《まだ》らに残つた。これで落着くかと彼女は思つた。明子には先《ま》づこの血に満ちたコップをどう処置するかが非常に重要なことに考へられて、ぢつとそれを握りしめてゐた。
 しかし第三の発作が起つた。村瀬が胸をのめらせて枕に縋《すが》りついた。明子は突嗟《とっさ》に自分の両手で吐かれる血を受けた。彼女は血だらけになつた両手を村瀬の口に押しつけながら、顔すれすれに近づけてささやいた。涙が冷たく蒼《あお》ざめた頬《ほお》に散つた。
 ――どうしたの、一体。
 今度は比較的量は少なかつたが、それでも両手の
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