康などのあらゆる女性の美徳を典型的に一身に具現しながら、しかもそれらの衰褪《すいたい》から全く免れてゐる異常な少女に異ひなかつた。美の脆弱《ぜいじゃく》さが彼女には欠けてゐた。その不具によつて、劉子のは象牙《ぞうげ》の彫像のやうに永遠に磨滅することのない美であつた。これは永遠の不具|乃至《ないし》は完成であつた。総ての女性はその美の脆弱さによつて男性の感情の弱さにつけ入る。が劉子の場合、彼女はその美の硬さによつて伊曾の強さにつけ入つたと言ふべきだらう。彼は劉子を驚異した。彼は新たな一つの意識に眼ざめた幼児の輝かしさで彼女を見た。全く別の情欲が彼を囚《とら》へてゐた。レカミエ夫人の秘密についての彼の法医学がかつた知識が彼の劉子への愛慕を不思議に聖化した。
彼等は主に朝の時間、外苑の透明な空気の中で会ふことにしてゐた。劉子は彼女の家に近い小さな陸橋を渡つて来た。伊曾はその反対側の赤|煉瓦《れんが》の兵営の蔭を、紫色に染まりながら大股《おおまた》に歩いてやつて来た。そして大抵は先に来て、青いベンチの前の砂利《じゃり》にパラソルの尖《さき》で何かの形を描きながら、しかも注意ぶかくあたりを警戒してゐるらしい彼女を発見した。
芝生の植込に彼は遠くから劉子の姿を見つけるのだつた。たしかに跫音《あしおと》はそれと聞えるに異《ちが》ひない距離になつても、彼女はその端麗な姿勢を決して崩さうとしなかつた。しつかりした跫音が彼女の真前《まんまえ》にとまるとはじめて劉子は顔を上げて、きつぱりした態度で伊曾をまともに視《み》た。その眸《ひとみ》は殆《ほとん》ど彼等の恋愛を詰問するかの様に智によつて澄みかへつてゐた。
伊曾は外苑の朝の光のなかに彼女を置くことを愛した。朝の光線は次第に強まる輝きにもかかはらず、どこかに軽微な暗灰色を蔵してゐた。これが彼女の皮膚の明晢《めいせき》さに或る潤《うれ》ひを与へる様に思はれた。彼等は並んでベンチに腰をおろした。伊曾は強い香気を嗅《か》いだ。しかし何の温度も感じなかつた。これは他の女たちによつて彼が曾《かつ》て経験したことのない不思議な現象だつた。彼は劉子の白い肉体を人並以上に温い血がめぐつてゐるのを直接触れて知つてゐた。が、彼女の体温はその皮膚の外には全然発散されないものの様だつた。それは彼女自身の衣服にさへも移らないかの如《ごと》く見えた。彼女の
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