女はぎよつとして再び眼を見合ふ。二人はヒソヒソと話しをはじめる。
「また寝ぼけたのではなくて、あの児は。」
「毎晩のやうにああして起き上るのよ。」
「私なんだか気味がわるい。私にはあの児が四つとはどうしても思へない。妙に智能の発達が遅いくせに身体ばかり発育して七つ位にも見える。顔が妙に青つぽくむくんで、瞳ばかりがきれいに澄んでゐる。あの児のお母さんはどうしたの。」
「あの子を産むとぢきに死んだのよ。三号室で。あの子のお母さんは何か悪い病気を持つてゐたのかも知れない。」
「あの子はまだ口がきけないのではなくて?」
「あの子ばかりではなく、此《こ》の室《へや》の児《こ》はみんなまるで唖《おし》のやうにまだ口をきかないのよ。」
 二人の女は忍びやかに笑ふ。それがガランとした室内に無気味にこもつた反響をする。四番目の幼児はふと泣きはじめる。けれど彼の栄養の悪い生理が彼に泣くことを拒否する。彼は病犬のやうに鈍い響を断続させる。静寂がその声のために一層沈んで行く。保姆《ほぼ》はいきなり幼児を抱きかかへた。鉄柵を越えて幼児の肉体が宙に浮く。保姆は扉から急ぎ足で庭へ出る。幼児は一きは高く泣いて間もなく黙る。秋の微風と星光が保姆にたのしい。彼女は川の方へと行く。崖《がけ》のうへに出る木扉を押さうとして彼女はフト佇《たたず》む。彼女はすぐ傍に忍びやかな話声を聞く。男の声と女の声がきこえる。――
「いまの声が聞えた? 赤ん坊が欷《な》いてゐる!」
「聞えたわ。赤ん坊が欷いてゐた。それをあやす女の声もした。」
「赤ん坊はお乳が欲しいから欷くんだね。もう真夜中だから。」
「さうなのね。」
「僕はとても幸福な気持がする。僕にはいまの赤ん坊の欷声《なきごえ》が天国から聞える様に思へた。」
「私にも何だか遠い世界から聞えて来る様に思へた。けれど天国からぢやなかつたわ。」
「どうしてそんな事を言ふの? 天国からさ! 僕はぢきにお父さんになるんだ。」
「子供のくせにそんな事いふもんぢやないわ。……いや! およしつてば! そんな事するものぢやなくてよ。」
「僕は赤ん坊がもう触《さわ》れやしないかと思つたのだよ。僕たちの天国の赤ん坊が。……」
「………………」
「なぜ何にも言はないの? なぜそんな冷たい表情をするの? その顔はお月様の光に凍《こご》えついてしまひさうな顔つきだ。花ちやんは随分やせたね。かう
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