なんか一言も言やしないのにさ。」
「でも、考えてらしたわ。」
「いいや、だんぜん考えてもいなかった。」
「じゃ、想像してらしたわ。」
「なにを、ばかな。夢にだって想像していなかったよ!」
「まあ、なんだってそんな金切り声をお立てになるの?」
「べつに金切り声なんか立てやしないさ!」
「だって『なにを』だの……『ばかな』だのって。……そりゃ一体なんですの?」
「それはお前、お前の言うことを聞いてると、ついむしゃくしゃしてくるからさ。」
「へえ、それで分ったわ! そりゃわたしが金持の娘で、持参金をかかえて来たら、さぞよかったでしょうとも……」
「げッ、むむむゥ!……」
 といった次第でね、僕はとうとう嚇として、亡くなった詩人トルストイの言草を借用すれば、『初めは神の如く、終りは豚の如し』の体たらくになっちまったのさ。僕はさも憤然とした様子をして、――けだし正直のところ、あらぬ濡衣をきせられた感じだったからね、――頭をふりふり、くるりと相手に背を見せると、書斎へ引揚げてしまった。それも、いざ後ろ手にドアをしめる段になって、なんとしても腹の虫がおさまらず、――わざわざドアをまた開けて、こう言っ
前へ 次へ
全41ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング