ました。それは千恵の弱身からくる思ひすごしでした。Hさんは結局のところ好人物なのです。またもや怪談で千恵をおどかして、退屈しのぎをしようとしてゐるだけのことです。ほんとを言へば、千恵は手頃の案内人の見つかつたことが、むしろ嬉《うれ》しかつたのかも知れません。
外へ出ると、かなりの吹き降りになつてゐました。それが刻一刻とはげしくなるばかりで、やがてO町の交叉点からN会堂の方へのぼるだだつ広い鋪装《ほそう》道路にかかつた頃には、コウモリもまともには差してゐられないほどになりました。どうやら風向きも変つたらしく、北の空めがけてどす黒い鉛《なまり》いろの雲が、ひしめき上つてゆくのが見えました。そんな空を背景に、もうついそこに黒々と姿をあらはしてゐるN堂のドオムは、まるでゆらゆら揺れてゐるやうに見えました。千恵はさつきのHさんの言葉を思ひ出しました。「見せたいものもある[#「もある」に傍点]」なんて、一体なんのことなんだらう。……今度はさつきとは違つて、この変にぼやかした尻《し》つ尾《ぽ》の方が気になりました。「なあに、どうせHさんのことだ。ひよつとするとどこか柱のかげあたりに、例の血あぶらの
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