恰好《かっこう》で、いつも看護婦のFさん(これも姉さまに劣らず背の高い人なのです――)の肩にもたれかかるやうにして、さつさと歩いておいでの様子は、遠目にはまず堅気《かたぎ》な西洋婦人の二人連れとも見えて、行きずりの人目をひくやうなものは何一つありません。……さうした点を一つ一つかぞへあげて、それで人間の生き死にを判断してよいものなら、たしかに姉さまは立派に生きておいでなのです。……生きて歩いておいでなのです。
ただどこかしら病気なだけなのです。これは連れのFさんが、その所属病院のきまりがあつて、濃紺の制服も、白い布のついた同じく濃紺の制帽も、けつして脱いだ例《ため》しのない人ですから、なんとしても疑ふわけにはいきません。千恵がはじめて姉さまの姿を見かけた時も、やはりそのままの二人連れでした。しかもその場所が聖アグネス病院の庭のなかでしたから、千恵はすぐさま、
「ああ、ご病気なのだ!」
と気がつきました。ふらふらつと立ちあがつて、思はず追ひかけようとさへしました。嬉《うれ》しかつたのです。思へば危ないところでした。もし千恵の坐《すわ》つてゐた場所がもう二三|間《けん》も小径《こみち》
前へ
次へ
全86ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング