流行《はや》り唄《うた》か何かをうたつてゐました。そして交替時間が来て、わたしたちは別々の部屋へ引きとりました。……
   ………………………………………
 姉さまがいまだにN会堂へ姿を見せると聞かされて、なぜそんなにびつくりしたものやら、千恵はわれながらわけが分りません。ただ何がなしに寒気が背すぢを走つて、そのためぞおーっと総毛《そうけ》だつたのです。そこには何かしら異常なものがありました。千恵はよつぽどどうかしてゐたのに違ひありません。
 その夜はなかなか寝つけませんでした。妙に風の音ばかり耳につきました。それでもやがて眠つてしまつたらしく、なんだか混み入つた夢を見ました。はじめは何でもその病院の庭を、ふらふら歩いてゆくやうでした。千恵ひとりで、もの凄《すご》いほど明るい月夜でした。芝生がいちめんまるで砂浜みたいに白く浮いて、遠くの松原が黒ぐろと影を描いてゐました。その黒い樹《こ》だちのなかに、ところどころ白い斑《まだ》らが落ちて、その一つ一つがよく見ると、まるで姉さまの姿のやうに思はれました。どれがほんとの姉さまかしら?……ふとそんな疑念がきざしたとたんに、夢がぐるぐると目まぐる
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