内をさまよつてゐたことさへあつたと云ふことです。当のさがす相手も、もはや幼な子の惨死体などではなくて、まぎれもないあの古島さんの生ける姿だつたらしいことは、姉さまの挙動や眼つきを遠目ながら窺《うかが》ふ機会のあつたほどの人なら、異口同音に断言したさうです。もちろん古島さんはすつかり怖気《おぞけ》をふるつてしまつて、姉さまの紫色のモンペ姿がちらりと見えようものなら、血相かへて自分の部屋へ逃げこんでしまふのでした。それでも出逢《であ》ひがしらに危くつかまりさうになつたことも、一二度はあつたさうです。
「色きちがひぢやないかね……そんな噂《うわさ》までが、会堂の関係者のあひだに、ひそひそ声でささやかれたものでしたよ。もつとも私たちに言はせれば、あのSの奥さんは、やつぱりここんところ(と、自分の額《ひたい》を指さきで軽く叩《たた》いてみせて――)が、ちよいと変になつてゐるだけのことだといふぐらゐは、まあ見当がついちやゐましたがね。……」
とHさんは長談義をやうやく結びながら、ニッと冷やかな微笑を浮べて、またもやあの忌《いま》はしい病気の名を口にするのでした。……風が出て、一しきり松原を鳴らし
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