てみると、古島さんはいつのまにかまた棒ブラシを拾ひあげて、そのくせ床を拭《ふ》きはじめるのでもなく、ぼんやりと眼の前の屍体《したい》の一つを見つめてゐたさうです。……
あとで古島さんが司祭さんに打明けたところによると、古島さんが姉さまの姿をその堂内で見かけたのは、その夕方がはじめてではなかつたのでした。何べんといふことははつきり覚えがないにしても、その眼つきのするどい、背のすらりと高い、色の抜け出るほど蒼白い婦人の姿は、たしかに三度か四度は屍体引取りに来た人の群のなかで見かけた記憶があつたさうです。もちろん身寄りの誰かれの屍体をたづねてN会堂を訪れた人びとは、もしそれが女ならば、みんな一様に血走つた眼つきをし蒼ざめた顔をしてゐたに相違ありません。が、そのなかで姉さまのお顔や眼だけがそんなふうに古島さんの印象にはつきり焼きついてゐたのには、もとよりそれ相応のわけがあるに相違ありません。一体なぜだつたのでせうか? それは「あのかた[#「あのかた」に傍点]の眼でした」と、古島さんはきつぱり言ひ切つたとHさんは語りました。千恵はそれを聞いたとき、思はずつい一時間かそこら前に廊下の窓からじいつ
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