地だの空襲だののせゐではなくて、幼いころ何か大病を患《わず》らつたときに切断されたものだといふことでした。そんな不幸な生ひ立ちの人ですから、子供の頃から教育も満足ではなく、信仰の道に入つたことはごく自然の成行きでせうが、もう一つ古島さんには、天成のすぐれた画才がありました。その画才と篤信《とくしん》が、どういふ筋道だつたかは存じませんが司祭さんに見出《みいだ》されて、だいぶ前からN会堂の教僕として住み込んでゐたのです。といふのはその司祭さんが、聖職者には珍らしく洋画(それも聖画ではなしに主に風景画ですが――)の道では、素人《しろうと》の域を脱した腕前を持つてゐたからでした。千恵はついこのあひだ、司祭さんの絵もそれとなく拝見する機会がありましたし、とりわけ古島さんの未完成の絵を見せられて、なんとも言へない感動にとらはれたのです。けれど絵のことは、とりあへず後廻しにしませう。……
 その古島さんといふ青年は、見れば見るほど不思議な人でした。左手で立派に絵をかきます。のみならずほんのちよつとしたメモのやうなものを見たことがありますが、その筆蹟《ひっせき》もなかなか几帳面《きちょうめん》で、こ
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