かの骨董《こっとう》や什器《じゅうき》の類《たぐ》ひから宝石類に至るまで、殆《ほとん》ど洗ひざらひ姉さまのところへ運び出されたやうな感じでした。あんまりぽんぽん整理されて行くので、千恵も娘ごころに寧《むし》ろ痛快なほどで、ある日お寝間の化粧|箪笥《だんす》のなかに最後にのこつた宝石|函《ばこ》を選りわけながら、
「まあこれとこれは千恵ちやんのお嫁入り道具にとつて置きませうかね。」
などとお母さまが仰《おっ》しやると、なんだか後ろめたい興ざめな気持がしたほどでした。
まあそんなことは一々みんな結構なのです。さうなるともう只《ただ》の気前のよさとか潔癖とかいふものではなくて、いはば女の意地の張りあひでした。千恵にもその気持は同感できましたし、またそのおかげでなんの後ろめたさも卑屈さも味ははずに、最近五六年の烈《はげ》しい時勢の波を、とにかくここまで乗り切つてくることができました。財産の焼けるのを空しく見まもつた人と、あらかじめそれを投げ捨てた人と、その差はほんの皮|一重《ひとえ》のやうに見えながら実に大きな余波のひらきのあることに、このごろ学友の誰かれを眺めながらつくづく思ひ当ります。お母さまの思ひきつたあの処理のため、千恵はほんとに打つてつけの時機に、依頼心といふものからも射倖心《しゃこうしん》といふものからも切り離されました。これはしみじみ有難いと思ひます。
おや、またお母さまの笑顔がちらつきます。こんどは何を笑つておいでなのですか? 「そんなこと、わざわざお礼には及びませんよ。母さんはただ自分のしたいことをしたまでの話ですよ」と仰しやるのですか? まさかさうではありますまい。「母さんのしたことがいいか悪いか、まあそんなことにはくよくよせずに、せつせと勉強しなさいよ。をかしな子だねえ」と仰しやるのですか? もちろんさうでもありますまい。どうぞ千恵の不遠慮な推量をおゆるし下さい。どうやら千恵の眼には、お母さまの苦しさうな笑顔がちらつくやうです。当りましたか、それとも……いいえ、これが当らないはずはありません。それでなくつてどうしてお母さまが、姉さまの行方をあんなに気になさるはずがありませう。どうして姉さまのことで、悪夢などまでごらんになるはずがありませう。それとも……
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いやいや、やつぱりこれは千恵の思ひすごしではないはずです。お母さまは姉さまを愛しておいでなのです。実の娘どうやうに、いえ実の娘以上にさへ愛しておいでなのです。「当り前ぢやないの!」つて、お母さまは小声でそつと抗議なさるでせう。千恵もさう信じます。それでこそあなたは千恵のお母さまなのです。けれどお母さまは、あんまり多くをお与へになつたのです。そのため何か大切なものをお失ひになつたのです。その報いが来たのです。……
千恵はお母さまを責めようなどとは考へてをりません。人間が人間を責めることができるものかどうか、そんなことすら考へてはをりません。罪は多分どこにも、誰にもありはしないのです。ただ人の子を躓《つま》づかせるものがあるだけなのです。
……ここまで書いて来て、千恵はどうやらやつと覚悟がきまりました。ではお母さま、以下が千恵の御報告です。この報告を書くことを、おそらく千恵は後悔しないでせう。これをお読みになつて、お母さまもどうぞ後悔なさいませんやうに! 千恵はそれを祈りもし、またほとんど信じさへしてをります。
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千恵が姉さまの姿をはじめて見たのは、前にも書いたやうに今日から一月あまり前、あの聖アグネス病院の庭のなかでした。聖アグネス病院といふのは、ご存じないかも知れませんが、築地《つきじ》の河岸《かし》ちかく三方を掘割にかこまれてゐる一劃《いっかく》に、ひつそり立つてゐるあまり大きくない病院です。小さいながらも白堊《はくあ》の三階建なのですが、遠見にはかなり深い松原にさへぎられて、屋根のてつぺんにある古びた金色の十字架さへ、よつぽど注意して見ないことには分らないほどです。じつは千恵も学校の実習であそこへ配属されるまでは、かすかに名を聞いた覚えがあるだけで、どこにある病院なのかさつぱり見当もつかないほどでした。
実習といつても、勿論《もちろん》まだ自分で診察したり施術をしたりするのではなく、まあ看護婦の見習ひみたいな仕事が主でしたが、その三ヶ月の実習期間もそろそろ尽きようとする頃になつて、千恵は姉さまにめぐり会つたのです。つまり姉さまは、ついその二三日前に入院していらしたわけなのです。まつたくの偶然でした。今だからこそ白状しますが、あの湯島の別宅で戦災にあつた後の姉さまやS家の人たちの消息を、なんとかして探りだすやうにといふお母さまの強い御希望を伺ひながら、千恵はほとんど何もしな
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