死児変相
神西清

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)一寸《ちょっと》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二三|間《けん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)稍※[#二の字点、1−2−22]《やや》
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 母上さま、――
 久しくためらつてゐましたこの御報告の筆を、千恵はやうやく取りあげます。
 じつは姉上のお身の上につき申しあぐべきことのあらましは、もう一月ほど前から大よその目当てはついてをりました。だのに千恵は、「わからない、わからない」と、先日の手紙でも申しあげ、またつい一週間前の短かい手紙にも繰りかへしました。それもこれも嘘でした。いいえ、嘘といふよりむしろ希望のやうなものでした。つまり千恵は、お母さまがそのうちいつか忘れておしまひになりはしまいかと、それを心頼みにしてゐたのでした。けれど一昨日いただいたお手紙(それは途中どこかで迷つてゐたらしく、十日あまりも日数がかかつてゐましたが――)の様子では、忘れておしまひになるどころか、なまじ御報告を一寸《ちょっと》のばしに延ばせば延ばすほど、却《かえ》つてますます御不安をつのらせるだけらしいことが、千恵にもよくよく呑《の》みこめました。三晩もかさねて、不吉な夢をごらんになつたのですね。それがどんな中身の夢だつたのか、お手紙には書いてありませんが、前後のお言葉から大よその察しのつかないものでもありません。そんな悪夢をまでごらんになるやうな母上を前にしては、千恵はもはや空しい希望を捨てなければなりません。それに、母上のあのお手紙をいただいたその明くる日――つまり昨日、まるで申し合はせでもしたやうに千恵がこの目で[#「この目で」に傍点]あのやうなことを見てしまつた今となつては、もう何もかも有りのままに申しあげて、あとは宏大な摂理の御手に一切をおゆだねするほかないことを感じます。
   ………………………………………
 ですが千恵のたどたどしい筆では、昨日見たことはもとよりのこと、姉上の身におこつた変りやうの一々を、ただしくお伝へする自信はとてもありません。ほんたうなら、たとへ二日でも三日でも休暇をとつて、人なみの帰省をし、ひと晩ゆつくり口づてから母上にお話しするのが一番にちがひありません。口づてならば曲りなりにも、なんとか見聞きしたことだけはお伝へできさうに思はれます。足りないところは顔色なり身ぶりなり、あるひは声音《こわね》なり涙なりが、補なひをつけてくれるでせうから。……信州の山かひは、さぞもう雪が深いことでせう。火燵《こたつ》もおきらひ、モンペもおきらひなお母さまが、どんなにしてこの冬を過ごされるのかと思ふと、居ても立つてもゐられないやうな気もし、同時にまた、クスリと笑ひだしたいやうな気持にもなります。お母さまにとつて、疎開地の冬はこれでもう五度目ですものね。ずいぶんお馴《な》れになつたに違ひありません。ずるい千恵は、戦争のすんだ冬のはじめに、さつさと東京へ飛びだしてしまひましたけれど、お母さまにはあれから二度三度と、千恵にとつては何としても居たたまれなかつた北ぐにの冬がつづいてゐるのですものね。あの陽気なお母さまが、それにお馴《な》れにならないはずはありません。それどころか、もうりつぱに「征服」しておしまひになつたに違ひありません。いつぞやのお手紙に、「頬《ほお》の色つやもめつきり増し、白毛《しらが》も思ひのほかふえ申さず、朝夕の鏡にむかふたびに、これがわが顔かと吾《われ》ながら意外の思ひを……」とありましたが、あのお言葉を千恵はそつくりそのまま安心して信じます。だつて千恵のお母さまは、どうしてもそんなお人でなくてはならないのですもの。それでこそ千恵のお母さまなのですもの。
 なんだか急にお顔が見たくなりました。かうして土曜日の晩ごとに、みじかい或ひは長い手紙を書くたびに、かならずそんな気持がしてくるのですけれど、今夜はまた格別です。もちろんそれには、姉さまのことをたどたどしい筆で申しあげるよりは、一目でもお目にかかつてお話しした方がいいといふ気持も手伝つてゐるには違ひありませんが、といつてそればかりでもないやうです。千恵は「つやつやした」お母さまの顔を久しぶりで拝見したいことも勿論《もちろん》ですが、元気なこの千恵の顔も、ついでに見ていただきたいのです。しかも冬の休暇はつい目と鼻の先です。往きに十二時間、帰りに十一時間、それに中一日か二日の滞在――どうしてそれつぱかしの暇もないのかと、お疑ひかもしれません。ですがこれは誓つて申しますが、千恵はべつにれんあいをしてゐるわけではありません。たしかにまだ処女のままですし、ま
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