のくらゐ時間がたつたか知りません。五分か、たぶん十分にはならなかつたと思ひます。ふと千恵は何か白いものの気配を目の端に感じて、その方をふり向きました。そこは廊下の窓でした。その窓のそとから、姉さまがじつとこちらを見てゐました。……その白い顔が姉さまだといふことは千恵にはすぐ分りました。驚くひまも、あわてるひまもなかつたほどでした。暗い廊下の闇のなかに、くつきりと浮びあがつてゐる白い顔。それがもし姉さまの稍※[#二の字点、1−2−22]《やや》面《おも》やつれのした尖《とが》つたやうなお顔でなかつたら、千恵は却つて恐怖の叫びをあげたかも知れないのです。千恵は動じませんでした。落ちついてさへゐました。じつと姉さまの顔を見返しながら、「大丈夫、千恵の方は逆光線になつてゐる……」とそんな意識が心のどこかにあつたほどです。それでも動いたり顔色を変へたりしてはいけないと思ひました。姉さまは大きな眼で、食ひいるやうにこちらを見てゐましたが、そのくせ千恵には気づいてもゐず、眼の行く先もすこし外れてゐることが、すぐに分つたのです。でも、そのそれてゐる視線の先にやがて気がついたとき、千恵は思はずアッと声を立てるところでした。青ぶくれの男の子が起きあがつてゐたのです。いつのまにか、音もなく、まるで姉さまの眼の磁気に吸はれでもしたやうに立ちあがつて、手すりにつかまりながら、じつと姉さまの方を見てゐるらしい様子でした。……
   ………………………………………
 サラサラと衣ずれの音がして、すぐ後ろで人の気配が迫りました。ぎよつとして振り返ると、あの若い保姆さんでした。「また来たわね。ふん、厭《いや》んなつちまうね」と、ぞんざいな妙にガサガサした声で保姆さんは言ふと、千恵の顔にちらりと嘲《あざ》けるやうな眼を投げ、かなり手荒くその男の子をうしろ抱きにしてベットに寝かせました。子供はべつにもがくでもなく、弾力のなくなつたゴム人形みたいにそのまま寝息を立てはじめました。
 ふと気がついて窓の方を見ると、顔はもう消えてゐました。
「あんた初めて? ぢや、ちよいとびつくりするわねえ」と保姆《ほぼ》さんは案外なれなれしげな調子で言つて、またちらりと千恵の顔を見ました。――
「特別室の患者さんよ、三日にあげずああして覗《のぞ》きに来るわ。」
「何かこの部屋に、縁のつながつた子供でもゐるのですの?」
「ば
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