《えいじ》たちに限られてゐたからです。そんな赤ん坊用の大小のベットはおよそ四五十もあつたでせうが、それがみんな四方にかなり高い鉄の手すりの附いた、まるで檻《おり》のやうな恰好《かっこう》のベットなのでした。大きな二つの部屋を、六人ほどの看護婦で受持たなければならなかつたからです。わざと燭光を低くした黄いろい電燈が、とろんとにぶく部屋を照らしてゐます。夜がふけると、まるで無人の死亡室にでもゐるやうな不気味さでした。ベットはほとんど満員なのですが、張りのある元気な泣声を立てるやうな赤ん坊は一人もゐないのでした。あの押しつぶされたやうなみじめな嗄《しわが》れ声で泣く赤ん坊――それも広い部屋のなかに二人か三人ぐらゐなものでしたが、産児室の夜勤をしてくらした十日ほどの経験を、千恵はもう二度とふたたび繰り返したくないと思ひます。子供を生むといふことの怖ろしさ、女に生まれたことの罪ぶかさ……そんなことがしみじみ思ひ知られるのでした。ベットはみんな、どうしたわけか水色に塗つてありました。
 二号室のほぼ中央の列の、割合に窓に寄つたところにある大型ベットにゐる子は、そもそもの最初の晩から千恵の注意をひきました。それは大柄な男の子で、生後八ヶ月たらずでしたが二つにも三つにも見える青ぶくれの気味のわるい子でした。母親はお産のあとで肺浸潤と診断されて、本館の西病棟に寝てゐるといふことでしたが、この子もなりは大きいくせに智慧《ちえ》づきはひどく遅く、おまけに毎晩かならず一度は寝ぼけて起きあがる癖がありました。かと云つて泣いたり騒いだりするのではありません。時刻も大がい十時半ごろに限つてゐましたが、すうつと音もなく立ちあがつて、手すりにぼんやりつかまつてゐるのです。よだれを垂らし眼はうつろで、べつに手すりを伝はつて廻るのでもなく、幽霊みたいにじいつと立つてゐるのです。一晩目も二晩目も千恵は急に泣きだした窓ぎはの赤んぼに気をとられてゐて、この子の立ちあがるところは見ませんでした。いつのまにか立つてゐるのに暫《しばら》くしてから気がついて、思はずぞつとしたのです。幸ひその晩は古参の保姆《ほぼ》さんがまだ残つてゐて、その子の癖や扱ひ方などを千恵に教へてくれました。さはらずに放つておいても別に危険はないらしいのです。ただかうした頭でつかちの子供の常として、脚《あし》の発育はひどく後れてゐるから、手すり
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