のです。……
お母さま。――
もうためらはずに、何もかも申してしまひませう。千恵があの礼拝堂の銅|格子《ごうし》ごしに見た姉さまの顔は、まぎれもなく狂女の顔だつたのです。
そのあくる日も、またそのあくる日も、千恵は廊下で姉さまとすれ違ひました。二度ともお午《ひる》すこし過ぎた時刻で、中庭には冬の日ざしが満ちて、廊下は決して暗くはありませんでした。けれど二度とも、姉さまは千恵に気がつきませんでした。鼠《ねずみ》色の見習看護服が、千恵といふものの姿を殆《ほとん》ど見わけにくくしてゐることは確かでせう。ですが本当を申すと、姉さまはすれちがふ人にちらとでも目をくれるやうな目つきではありませんでした。あの印象ぶかい大きな眼は、どこか遠い遠いところにじつと注がれてゐたのです。
それから四五日して、千恵は三階の病室が二つまで空になつたのを機会に、附属の産院の方へ廻されました。こんどは夜勤でした。
千恵が姉さまの病状について色々とこまかいことを知つたのは、ほかならぬその産院の夜勤のあひだでした。それを申しあげる段どりになりました。決してお驚きになつてはいけません。それは病状といふよりも、むしろ運命とも言ふべきものでした。千恵はそれを冷静に書きしるしませう。運命の前に驚きあわてることは、ひよつとすると人間の傲慢《ごうまん》さなのかも知れません。それをどうぞお考へください。
産院といつても、千恵の廻されたのは施療別館の方で、それは殆《ほとん》ど川ぞひと云つてもいいほどの構内の東南隅にぽつんと立つてゐる木造の古びた別棟でした。夜が更けてあたりがひときはシーンとすると、川を上り下りするポンポン蒸汽の音が、たまらないほど耳につくのです。夜勤は九時から二時までとなつてゐましたから、番のあひだはその音が結構ねむけ覚ましになるのですが、いざ宿直室へ引きとつて眠らうとすると、その鈍い規則的な爆音が意地わるく耳について、なかなか寝つけないのでした。千恵の受持ちはその産院のなかでも、ふつう産児室と呼ばれてゐる二つの大きな部屋でした。そこへは廊下と扉にへだてられて、産児のにぎやかな泣声もそれをあやす貧しい母親たちの声も、ほとんど聞えて来ません。この二た部屋に収容されるのが、あるひは産褥《さんじょく》で母親と死別したり、またはその他の事情で生まれて早々母親と生別しなければならなかつた、不幸な嬰児
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