が、急に帰りたくなったの――ロシアへ、生れ故郷へ、ひとり娘のところへね。……(涙をふく)神さま、ああ神さま、どうぞお慈悲で、この罪ぶかい女をお赦《ゆる》しくださいまし! この上の罰は、堪忍《かんにん》してくださいまし! (ポケットから電報を出して)今日、パリから来たの。……赦してくれ、帰って来てくれ、ですって。……(電報を引裂く)どこかで音楽がきこえるようね。(耳を澄ます)
ガーエフ あれは、ここの有名なユダヤ人の楽団だよ。ほら覚えてるだろう。バイオリンが四つに、フルートとコントラバスさ。
ラネーフスカヤ あれ、まだあるの? なんとかあれを呼んで、夜会を開きたいものね。
ロパーヒン (耳をすます)聞えないな……(小声で口ずさむ)「金《かね》のためならドイツっぽうは、ロシア人|化《ば》かしてフランス人に変える」(笑う)いや、きのうわたしが劇場で見た芝居といったら、じつに滑稽《こっけい》でしたよ。
ラネーフスカヤ ちっとも滑稽じゃないのよ、きっと。あんたは芝居なんか見ないで、せいぜい自分を眺《なが》めたほうがよくってよ。なんてあんたの暮しは、不趣味なんでしょう、よけいなおしゃべりばかりして
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