化粧
神西清

 これは昔ばなしである。――
 二人はおさない頃から仲よしだつた。家は大和の国の片ほとり、貧しい部落に、今ならばさしづめ葭簀ばりの屋台で、かすとり焼酎でも商なふところか、日ごとに行商をして暮らしを立てる、隣どうしであつた。
 幼い二人は背戸の井筒のほとりで、ままごとや竹馬あそびをしてゐた。遊びにあきると二人で井筒に寄り添つて丈くらべをした。年は少年が三つ上だつたが、背丈は少女の方が高かつた。少年はいつも負けて口惜しがつた。
 井筒につける二人の爪の痕が、だんだん上へ伸びていつた。やがて井筒の丈では間に合はなくなつた。二人はあまり遊ばなくなつた。水を汲みに来てばつたり出会ふと、二人は頬を赤らめた。
 さうして何年かたつた。
「さあ今ではもう、井筒に印しをつけることもゐるまいね。僕はこんな脊高のつぽになつたからね」と、ある日のこと青年が言つた。
「わたしの振分髪も、あの頃はあなたと追つつかつつでしたが、ほらもうこんなに、肩の下まで来ましたわ。この髪を掻きあげてくださるのは誰かしら?」と、乙女は答へた。
 そうして二人は結婚した。
 やがて女の母親も死んだ。二人は自分で暮らしを立てることになつた。
 そこで男はやはり行商に出ることにきめて、河内の国の高安の市へ、仕入れに出かけることになつた。市の商人は愛想がよかつた。娘たちは花やかに着かざつてゐた。若者は目がさめたやうな気がした。
 そのうち彼には恋人ができた。仕入れの旅がだんだん長びいて、十日になり、半月になつた。若い妻はそのわけをさとつた。けれど怨む様子も妬む気色も、一向に見えなかつた。
 若い妻は、甲斐々々しく立ち働いて、をつとの旅立ちの仕度にしても、却つて前より念入りにする。男はふしぎに思つた。ひよつとするとこれは、別の男でもできたのではないかと疑つた。
 嫉妬に責められだしたのは、却つて男の方だつた。
 そこで男は、ある日やはり河内へ旅だつた振りをして、村はずれまで来ると、こつそり後へ引き返した。さうして庭先の萩のしげみに身を忍ばせて、夕闇の迫るまで、ひそかに妻の様子をうかがつてゐた。
 若い妻は夕方になると、身じまいをし、薄つすらと化粧までして、膳部を二つ、縁先ちかくならべて据えた。けれど、箸を手にとるでもなく、そのまま縁へにじり出て、ぼんやり庭先などを眺めてゐる。その物案じ顔が、男の心には人待
次へ
全2ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング