きや》づくりの堂々たる一棟は、なんと大きな十字架を、藁《わら》屋根の上にそびえさせてゐるではないか。詳しく言ふと、藁屋根のてつぺんに白木の櫓《やぐら》を組みあげ、その中に鐘を釣り、その頂きに何やら黒ずんだ十字架を立ててゐるのだ。面白い趣向である。まさしくこれは南蛮寺だと、例の悪い癖で早速あだ名をつけた。
 折しもドミンゴ(日曜)のこととて、会堂の戸障子《としょうじ》はあけ放たれ、屋内に立ち居する信徒の姿が見える。黒いアビト姿のバテレン神父もちらちらする。オラショ(祈祷)は既に果てたと見え、ちらほら帰る人もある。
 道をへだてたこちら側は清浄な運動場で、そこでは青年男女が、ハンドボールに興じてゐる。ピカピカなニュー・ルックの自転車の稽古《けいこ》をする者もある。
 私はさうした光景を見て、この分ではひよつとすると、めざす窟なんぞはとうに埋立《うめた》てられ、石塔は敷石にでもなつて居はすまいかと心配になり、大急ぎで上へ登つた。幸ひにして、窟も石塔もツツガなく、稲束の置場に利用されてゐた。日の傾かぬうちにと、石塔に打掛けられた稲束を取りのけ、二三のアングルからカメラに収めたが、さてそこで窟の
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