心を買はうとの魂胆ぢや。さるにても、むざとその手に乗せられた信長公こそ稀代《きたい》のうつけ者。すなはち京都|四条坊門《しじょうぼうもん》に四町四方の地を寄進なつて、南蛮寺の建立を差許さるる。堂宇《どうう》は七宝《しっぽう》の瓔珞《ようらく》、金襴《きんらん》の幡《はた》、錦《にしき》の天蓋《てんがい》に荘厳をつくし、六十一種の名香は門外に溢《あふ》れて行人《こうじん》の鼻をば打つ。さればウルガン伴天連《バテレン》、とても一人では弘法力に及ばずとて、更に本国より呼寄せたるは、フラテン伴天連、ケリコリ伊留満《イルマン》。ヤリイス伊留満。この三人もやがて信長公に目通りする。献上の品々、さきの例《ため》しに劣りがない。……」
弁士はちよつと言葉を切つて、また探るやうな目で聴衆を見まはした。別に不穏な空気もない様子に、気をよくしたらしく、
「されば南蛮キリシタン宗は」と、一段とさはやかな調子で先をつづけた。「一気に繁昌《はんじょう》に赴《おもむ》いたが、もとより普《あま》ねく病難貧苦を救うて現安後楽の願ひを成就《じょうじゅ》せんとの宗旨《しゅうし》であれば、やがて江州《ごうしゅう》伊吹山《いぶきやま》に五十町四方の地を拓《ひら》いて薬草園となし、本国より三千種の種苗《しゅびょう》を取寄せてこれに植うる。さて洛中《らくちゅう》洛外《らくがい》の非人乞食で大病難病を患《わず》らふ者を集め、風呂に入れて五体を浄《きよ》め、暖衣を与へて養生をさするに、癩瘡《らいそう》なんどの業病《ごうびょう》も忽《たちま》ちに全快せぬはない。その噂《うわさ》を聞き伝へ、近隣諸国の人々貧富|貴賤《きせん》の別《わ》かちなく南蛮寺に群集し、且《か》つは説教を聴聞《ちょうもん》し、且つは投薬の恵みにあづかる。何がさて南蛮キリシタン国は広大|富貴《ふうき》の国なれば、投薬の報謝、門徒の布施は一せつ受けぬ。却《かえ》つて宗門に帰依《きえ》する者には、毎日一人あて米一|升《しょう》、銀八分をば加配する。されば忽ちに愚民の甘心を……」
「愚民とは何だ、人民と言へ!」と、ここで初めて野次《やじ》が飛ぶ。
弁士はさつと鼻白《はなじろ》んで、暫《しばら》く絶句した。そのすきに聴衆がざわつきだす。
「どうも論旨《ろんし》が、少々唯心論的ぢやありませんかな」と、隣の男がその連れに話しかける。若い教員風の男である。
「さやう、どうもあの幟《のぼり》にあるRといふ字が臭いですよ」と応じたのは、鼻|眼鏡《めがね》をかけた学者ふうの紳士で、「はじめは Radical《ラジカル》 か、それとも Revolutia《レヴォルシヤ》 の意味かなと思つて、こりや面白さうだと期待したんですがね、どうやらあれは、Reaction《レアクション》 の意味なのかも知れんですな。」
そのうちに、弁士がまた喋《しゃべ》りだした。シッと制する声が起る。二人は黙つた。
「……これは失言、おわびを申します。さてその人民どもを誑《たぶ》らかす邪法の方便は、まだまだそれだけではない。手拭《てぬぐい》を以て馬と見せ、砂塵《さじん》を投げて鳥となし、爪《つめ》より火を出してタバコを吸ひ、虚空《こくう》を飛行し地に隠れ、火の粉を降らして沃土《ようど》を現じ、その他さまざまの幻術を使ふ。……」
「そんなことで人民は騙《だま》されないぞ!」
「同感、同感!」
だいぶ不穏な形勢に、弁士は些《いささ》かあわて気味で、片手を振りふり早口になつた。
「されば、されば先《ま》づ聞かれい。もとより人民も騙されなんだが、信長公もさすが不審と思召《おぼしめ》され、南蛮宗と仏門の宗論をさせんと思ひ立たれた。その時の南蛮宗の論師は、学僧フルコム伴天連。まつた仏門の論師は、かく申す愚僧梅庵。安土城の大広間において、舌端《ぜったん》火を吐いて渡りあつたる一条は……」
聴衆はシンとなつた。話が俄然《がぜん》、立廻《たちまわ》り模様になつたからである。弁士は北叟笑《ほくそえ》んで、
「愚僧問ふ―『それ仏僧は乞食|托鉢《たくはつ》を旨《むね》とする。喜捨の人はその功徳《くどく》によつて仏果を得る。然《しか》るに南蛮宗は一切の施物《せもつ》を受けず、却《かえ》つて之《これ》を施《ほどこ》して下民《げみん》……いや人民の甘心を買ひ、わが一党の邪魔をすること尤《もっと》も奇怪なり。その底意《そこい》は如何《いか》に?』フルコム答ふ―『わが南蛮四十二国、みなデウス如来《にょらい》を拝むによつて、苦患《くげん》なく乞食なく病者なし、なんぞ貧者を駆つて施物を集めんや。いま却つて我らが底意を忖度《そんたく》す。汝《なんじ》の心底こそいやしむべし。』愚僧また問ふ―『さらば既に苦患なし、何とて貴国に宗教はあるぞ?』フルコム答へて―『それは未だにジャボ(天狗)が住むゆ
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