なかの、そなた自身の役割を実際にしたのは、確かこの柏翁であつたはずぢやの。……なつかしや梅庵、いやさ不干《ふかん》ハビアン。」
梅庵はよろよろつとした。復員服があわててそれを支へる。聴衆の中でぶつぶつ呟《つぶや》き声が起る。柏翁と名乗る僧は、悠然と先をつづける。
「なうハビアン、思へばそなたは哀《かな》しい男ぢや。そなたはもと、恵春というて禅門の僧であつたものを、はからずも癩瘡《らいそう》を病んで膿血《うみち》五臓にあふれ、門徒の附合も叶《かな》はず、真葛《まくず》ヶ|原《はら》で乞食をして年を経たところを、南蛮宗ウルガン和尚の手に救はれ、懇《ねんご》ろな投薬加療その験あつて忽《たちま》ち五体は清浄となる。その恩に感じて南蛮キリシタン宗に帰依《きえ》し、ハビアンと名を改め、カテキスタ(同宿)として天晴《あっぱ》れ才学を謳《うた》はれたも束の間、一朝にして己れがインテリゲンシヤに溺《おぼ》れ、増長慢《ぞうちょうまん》に鼻をふくらし、恩顧の宗門に弓を引いて『破デウス』の一書を著はす。その魂、救《すくい》を求むれども神仏儒蛮いづれにも安心を得ず。つひに(と、ここで柏翁は幟《のぼり》の文字をずいと指さし)Resistantia《レジスタンシヤ》 宗の教祖となつて、死すれども死せず、死せざれども生ぜず、永劫《えいごう》にロギカの亡霊となつて中有《ちゅうう》をさまよひ、今また四百歳の後、姿をここに現ず、哀《あわ》れむべし、汝《なんじ》ハビアン。……」
柏翁がここまで言つたとき、不思議なことが起つた。もつとも妙なことばかり起る日だから、今更どんな珍事がもち上つても大して驚かないつもりだが、とにかく忽然《こつぜん》として梅庵も復員服も、かき消すやうに失《う》せてしまつたのである。あとには例の白い幟が、これまた地上を離れて、ふはりふはりと空へ舞ひあがる。松の木をかすめ家なみを越え、うしろの山へ飛んで行く。その白い地色に、ちらちら紅い色のまじるのは、例のRの大文字がちらつくのか、それとも夕焼けの色が映るのか。それはもう確めるすべもなかつた。……
底本:「日本幻想文学集成19 神西清」国書刊行会
1993(平成5)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「神西清全集」文治堂
1961(昭和36)年発行
初出:「朝日評論」
1950(昭和25)年1月発行
※ルビ
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